斎藤佑樹一覧

【斎藤佑樹】に関するニュースを集めたページです。

斎藤佑樹が大学に進学せず高卒でプロ入りの道を選んだらどうなっていたのか?(時事通信フォト)
斎藤佑樹、キャスター争奪戦か 新庄人気も追い風?改めて注目集まる
 今季限りでユニフォームを脱いだ元日本ハム・斎藤佑樹(33才)に、改めて熱い視線が送られている。早稲田実業時代、夏の甲子園の決勝で田中将大(当時・駒大苫小牧。現・楽天)との激闘を制し、一躍国民的なアイドルになったのが2006年のこと。プロ生活11年で通算15勝という数字は甲子園優勝投手としては寂しいが、引退後の第二の人生を送るにあたり、各局がキャスターとして争奪戦を繰り広げているというのだ。「熱心な野球ファンにとっては、『斎藤=プロでは成功できなかった選手』でしょうが、一般的な知名度は特A級。プロ野球がテレビの地上波でほとんど放送されなくなったことで、野球選手の知名度はどんどん下がっていますが、甲子園のスターは別格です。斎藤はオールスターに毎年出るような選手よりよほど有名で、野球に大して興味がない人にも顔と名前が知られており、確実に視聴率が計算できます。 高校球児に密着する『熱闘甲子園』や、斎藤が長らく世話になった日ハムの栗山英樹監督と関係が深い『報道ステーション』を放送するテレビ朝日が強い興味を示しているといわれていますが、10月にはNHK Eテレの東京六大学の早慶戦の中継に起用されており、NHKも接近しているようです。ルックスが良く、清潔感もあって、いかにもテレビ向きなので、キャスターやコメンテーターとして使いたい局は他にもあるでしょう」(キー局関係者) 日ハム時代、成績が振るわぬ斎藤には“客寄せパンダ”との厳しい声が寄せられたが、誰もがパンダになれるわけではなく、テレビ局が人気と知名度に注目するのは当然だ。また、こんな声もある。「“ハンカチ王子”と呼ばれ、実績が伴わないまま注目ばかりが集まる状況が続いた斎藤ですが、どんな時でも取材対応は誠実で、ファンサービスにも熱心だったので、現場の評判は大変良好です。2017年、早実の後輩の清宮幸太郎(現・日本ハム)の進路に注目が集まっている時、斎藤に意見を求めに行った記者がいました。普通の選手なら、自分以外の質問には答えないものですが、彼はマジメに質問に答え、清宮にメッセージを贈ったため、関係者から賞賛の声が上がりました」(フリーのスポーツライター) 人気だけでなく、懐の広さも一流ということか。本人はそのイメージに苦しんだ時期もあったと語っているが、“王子”と呼ばれたのは伊達ではなかったようだ。そしてここに来て、さらなる追い風も吹いている。「現在、球界の話題を独り占めしているのが日ハムの新庄剛志新監督。就任会見で『優勝なんか目指さない』と言ったり、ド派手なファッションでグラウンドに登場したりと、常に話題を提供して、日ハムは一躍最注目のチームとなりました。来シーズンは新庄イヤーとなるのは間違いない。斎藤にとって日ハムは古巣で、バッチリ顔が利きますし、日ハムは再来年から新球場に移るので、注目される状況はしばらく続きます。新庄+斎藤なら相当なインパクトがあるので、斎藤を使いたい理由はますます増えました」(テレビ関係者) これを強運と言わずして、なんと呼ぶべきか。やはり彼は何かを「持っている」人間だったようだ。※記事の一部に誤りがあったため修正しました(2021年11月24日12時04分)
2021.11.23 16:00
NEWSポストセブン
斎藤佑樹が大学に進学せず高卒でプロ入りの道を選んだらどうなっていたのか?(時事通信フォト)
11年で15勝の斎藤佑樹 高卒でプロ入りしていたらどうなっていたのか
 早稲田大学から2010年のドラフト1位で日本ハムに入団した「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹が、今季限りで引退する。故障に泣いたこともあり、プロ生活11年で15勝しかできなかった(10月16日現在・以下同)。 2006年夏の甲子園決勝で、早稲田実業の斎藤佑樹は駒大苫小牧の田中将大(現・楽天)と投げ合い、決勝再試合の末に優勝投手となった。野球ファンの間で話題になるのは、「もし斎藤が高校卒業直後にプロ入りしていたらどうなっていたのだろうか」という点だ。プロ野球担当記者が話す。「当時から言われていたことですが、大学に進学するのは主にドラフトで指名されない、もしくは下位指名になりそうな選手がほとんど。上位指名が確実視される中、将来的にプロを目指す選手がわざわざ進学するケースはあまりない。高校時代に斎藤佑樹がプロ入りを表明していれば、複数球団が1位指名を検討したのではないでしょうか。 線の細い彼は大学4年間でプロに通用する体づくりをする目的もあって進学したが、結局それを果たせたとは言い難い。大学2年の時に股関節を故障したことも、プロ入り後に活躍できなかった一因でしょう。斎藤以前から甲子園を沸かせた投手の中には、大学でケガに泣いて野球人生の歯車が狂った選手が何人もいました。だから、高校生の時に上位指名される実力があるなら、プロ入りするに越したことはないと思います」(以下同) 1991年、春の仙台育英戦でノーヒット・ノーランを達成し、夏には優勝投手に輝いた大阪桐蔭の和田友貴彦は「神宮で野球をやるのが夢」と先輩も多い東洋大学に進学。2年のリーグ戦で春秋合わせて11勝を挙げる大車輪の活躍を見せた。しかし、その後は故障続きで、プロ入りは叶わなかった。 1994年夏の準優勝投手である樟南(鹿児島商工)の福岡真一郎は九州産業大学1年の4月の福岡教育大戦で、11打者連続奪三振という福岡六大学野球の記録を樹立。この試合は延長12回188球完投勝利と幸先の良いスタートを切ったが、秋に右肩を痛め、思うようなボールが投げられなくなった。2人とも、プロ入りには至らなかった。1年目は活躍できなくても2年目で飛躍する選手は多い「斎藤と同じように、甲子園で大活躍した線の細い投手といえば、桑田真澄(PL学園→巨人→パイレーツ。現・巨人投手チーフコーチ補佐)が思い出されます。当初、早大進学を表明していたが、巨人に1位指名されてプロ入りした。密約説なども疑われましたが、桑田真澄の野球人生を考えた場合、高卒でプロ入りして正解だったでしょう。1年目こそ2勝に終わりましたが、2年目に15勝を挙げて沢村賞と最優秀防御率を獲得。4年目までに44勝をマークしています。少なくとも大学に行っていたら、この分の勝ち星はなかった」 斎藤や桑田と同じ甲子園の優勝投手である松坂大輔は、横浜高校から西武に入団。1年目から3年連続最多勝に輝き、4年で51勝を記録した。高校3年の時に春夏連覇を果たした大阪桐蔭高校の藤浪晋太郎は阪神入団1年目から3年連続2桁勝利、4年で42勝している。甲子園で斎藤と投げ合った田中将大は楽天に入って、4年で46勝を挙げた。「平成で高卒1年目から2桁勝ったのはこの3人だけですから、斎藤が高卒1年目から活躍したかどうかは未知数です。しかし、桑田の例もありますし、ヤクルトの奥川恭伸は1年目こそ1試合のみの登板でしたが、2年目の今年は9勝を挙げている。 他にも涌井秀章(西武)は1勝→12勝、前田健太(広島)は1軍登板なし→9勝、松井裕樹(楽天)は4勝→3勝33セーブ、山本由伸(オリックス)は1勝→4勝32ホールドと、高卒2年目に飛躍した投手はたくさんいます。もし斎藤が高卒からプロ入りしたら、2年目、3年目辺りから活躍したかもしれない……と夢想してしまいますね。 プロと大学では体へのサポート体制も全然違いますし、大学時代の故障も避けられたかもしれない。そんな意味のない妄想をしてしまうほど、斎藤佑樹という投手には魅力がありました」 2006年夏に日本中を沸かせてから15年。10月17日のオリックス戦(札幌ドーム)の引退試合を最後に、1人のスターがマウンドを降りる。
2021.10.17 07:00
NEWSポストセブン
今季限りでの引退を表明した斎藤佑樹(時事通信フォト)
斎藤佑樹ラスト登板、優勝争い中のオリックス戦で引退試合をする是非
 ペナントレース終盤、優勝争いをしているチームとの一戦で引退試合を開催する是非は――。日本ハムの斎藤佑樹が今季限りでの引退を発表した。栗山英樹監督は、10月17日日曜のオリックス戦(札幌ドーム)で斎藤がサヨナラ登板をすると明言。試合後にはセレモニーも行なわれる予定となっている。 2006年夏の甲子園で駒大苫小牧の田中将大(現・楽天)と投げ合い、決勝引き分け再試合の激闘を演じた早稲田実業のエースは早稲田大学に進学し、2010年秋のドラフト会議で4球団競合の末、抽選で交渉権を獲得した日本ハムに入団。1年目は6勝、2年目は開幕投手を務めてプロ初完投勝利を飾った。しかし、その後は故障に見舞われ、期待されたような成績は残せず、11年間で通算15勝26敗(10月6日現在)に終わった。 プロ野球担当記者が話す。「斎藤佑樹はプロでは活躍できませんでしたが、甲子園で伝説を作ったし、普段野球を見ない人への知名度も高い。昔は超一流選手しか引退試合を行なえませんでしたけど、最近はさほど成績を残していない選手でも開催される。人気や昨今の風潮を考えれば、引退試合を開催するのは自然な流れかもしれません。しかし、優勝を争っているオリックス戦を選んだ球団には疑問がありますね」(以下同) 現在のところ、日本ハムのホーム最終戦は10月26日火曜の西武戦(札幌ドーム)になっているが、どうしてオリックス戦になったのか。「今の時点で西武は自力でのクライマックスシリーズ進出の可能性が消滅していますし、おそらく10月26日はいわゆる消化試合になる。シーズン中に引退試合をしたいなら、本来はその日にするべき。しかし、球団は観客の入りを考えて、平日ではなく休日に行ないたいのではないでしょうか。企業としては当然の判断ですし、コロナ禍で観客動員が大幅に減っていることを考えれば、無理もないのかもしれません」 人気のある斎藤佑樹の引退試合を日曜にすれば、観客数が伸びると同時に関連グッズの売り上げも変わってくる。「昔の引退試合は主に翌年のオープン戦でしたが、1990年代中頃からはシーズン終盤の開催が増えた。引退記念グッズの売り上げが球団の経営に大きく貢献すると分かったからでしょう。企業がチームを持つ場合、以前は親会社の広告費として計上していたので、どんぶり勘定な部分も多かった。しかし、最近は単体として黒字を出そうと、どの球団も努力をしています。その1つが実績を残した選手だけに限らない引退試合の開催です。優勝がなくなったチームにとってもファンにとっても、魅力のある興行に変わりますから」試合終了後に打者と対戦ではダメなのか? 投手の引退試合では“阿吽の呼吸”で打者が三振をするケースもある。もし今回もそうなることがあれば、優勝争いをしているオリックスは貴重なワンアウトを献上することになる。「これはもっと議論されて然るべき課題でしょう。じゃあ斎藤佑樹が真剣勝負をすれば問題ないのかといえば、そうとは言えない。同じく優勝争いをしているロッテからすれば、『なんで今年一度も投げずに戦力外の投手を登板させるんだ』と思うでしょう。どう転んでも、どちらかのチームを100%納得させることはできないんですよ。 オリックスもしくは日本ハムが大量リードした場面なら良いのかといえば、そうでもない。もし、斎藤佑樹に花を持たせるために三振するなら、打者は貴重な1打席を無駄にするわけです。該当する選手がタイトル争いをしているとか、3割がかかっているなら、なおさら問題ですよ」 興行面を考えれば、シーズン中の引退試合は重要なイベントであり、今後取りやめになることは考えにくい。「今シーズンもある程度の数字を残している選手や実績のある選手なら、公式戦での開催もいいと思いますが、昨年から一度も一軍で登板していない投手がマウンドに上がることを優勝争いしているオリックスやロッテがどう受け止めるか。経営を考えてシーズン中にこだわりたいなら、試合終了後に打者1人と勝負するなど方法を考え直した方がいい。たとえば、2006年夏の甲子園で斎藤佑樹とも対戦し、『シャッー』の掛け声で人気になった当時鹿児島工業の今吉晃一氏が打席に立ったり、高校の後輩でチームメイトの清宮幸太郎と真剣勝負したりすれば、ファンも楽しめるのでは」 もはや秋の風物詩となっているプロ野球の引退試合。斎藤佑樹のラスト登板は球界に課題を投げ掛けるかもしれない。
2021.10.07 16:00
NEWSポストセブン
斎藤佑樹が引退、記者にしたこととは
斎藤佑樹 現役引退会見の裏で見せていた記者への粋な計らい
 10月3日、今季限りでの引退を表明している日本ハム・斎藤佑樹(33)がイースタン最終戦に登板した。相次ぐケガに苦しめられた男はマウンド上で涙を流しながらも懸命に右腕を振り、打者一人を三振に抑えた。登板後、内野手がマウンドに集まり、涙の清宮幸太郎とハグを交わすと球場には観客の歓声が飛び交った。 この引退登板には、プロ11年間で斎藤を取材してきたメディア関係者もプライベートで駆け付けていた。元番記者の1人が語る。「斎藤は記者から好かれていた選手でした。記者にフランクに“今夜ご飯行きましょうよ”と気軽に誘ってくる。ここ数年、ケガで苦しい状況が続いていましたが、コメントを求めると“仕事だから仕方ないですよね”と、嫌な顔せずに取材対応してくれた。週刊誌の直撃取材にすら対応するんですから(笑)。身体の状況なども、親しい記者には隠さず話していたと聞いています」 斎藤は2日前の10月1日、鎌ケ谷の二軍施設で引退会見を開いている。だが、甲子園を“ハンカチフィーバー”で沸かした頃や入団当時のメディアスクラムは見る影もなく、こぢんまりした会見だった。会見に参加したメディア関係者が語る。「この日は眞子さまの結婚発表や、横綱・白鵬の引退会見と重なっていて、メディアの注目度は高くなかった。一軍は北海道で試合でしたし、取材に参加したのは一部の番記者と遊軍記者ばかり。番記者も斎藤の入団当初や、大谷翔平がいたころは各社複数人配置していましたが、チームの低迷もあっていまは各社ほぼ1人。取材陣10数名の寂しい会見でした」(同前) それでも現場は斎藤の“粋な計らい”でアットホームな雰囲気に包まれていた。「斎藤の登場前から、記者たちの間で『よく頑張った』と労いの言葉が飛び交っていました。なかには、『取材をもっとしておけばよかった』と、この2年間コロナ禍で思うように取材できなかったことを残念がる記者もいました。 実は会見前後に、斎藤は連絡先を交換していた記者に連絡を入れている。恩師やOBに連絡する選手は多いですが、記者に連絡する選手は稀です。プロではお世辞にも活躍したとは言えませんが、こういう姿勢があったからこそ、記者から愛されてきたのでしょう。これからの身の振り方については、はぐらしているようですが(笑)」(同前) 惜しまれながらユニフォームを脱いだ甲子園のスター。新天地での活躍に期待したい。
2021.10.04 16:00
NEWSポストセブン
将来は指導者を目指しているという松本啓二朗
元DeNA・松本啓二朗が語る「ドラ1の重圧」と後輩・斎藤佑樹への思い
 DeNAに2008年ドラフト1位で入団した松本啓二朗(34)は2017年に退団後、社会人野球・新日鉄君津かずさマジックでプレー。昨年限りで現役引退した。現在は指導者として必要とされる環境を求め、就職活動を行なっているという。「父親が高校野球の監督をやってきた姿を見てきたので、プロになる前から指導者になりたいという夢があった。これからは高校、大学の指導者として野球に恩返しがしたいです」 松本啓二朗の名前を聞けば、野球ファンの中には「野球エリート」と連想する人も多いかもしれない。千葉経大付属高で3年夏に「4番・投手」で甲子園に出場。3回戦でダルビッシュ有(現・パドレス)擁する東北高に延長10回の末、投手戦を制して3-1で勝った試合は特に印象深い。早大で外野手に転向すると、1年秋に外野でレギュラーをつかみ、2年春に六大学リーグ2位の打率.438をマーク。4年秋に打率.333で首位打者に輝く。ベストナインにも5度選出された。リーグ通算打率.315、2本塁打、44打点。大学ナンバーワン野手と高く評価され、2008年のドラフト1位で横浜(現DeNA)、阪神の2球団が競合する。当たりくじを引いた横浜に入団した。 周囲がうらやむ華やかな経歴だが、意外な思いを口にする。「アマチュア時代に自分のプレーに自信を持ったことは一度もないです」 その理由をこう続けた。「打者でプロにいくイメージがわかなかったんです。左利きの野手は一塁、外野と守るポジションが限られ、プロは左の巧打者がゴロゴロいる。高校時代から僕のレベルでは野手では厳しいと思っていました。プロを目指すなら左投手のほうが需要があると思ったんです。だから、高3の時に練習参加で早大に行った時、『外野でどうだ?』と言われた時は『終わった』と思いました。その後も投手の夢を諦めきれずに、3年に大学日本代表で選ばれた時も『投げたい』って言っていました」 投手に未練があった松本だったが、プロでエースになれる未来予想図を描いたことはなかった。自信が打ち砕かれたのは高3夏の甲子園。皮肉にも評価を上げたダルビッシュとの投手戦を制した東北高戦だった。「試合前日にダルビッシュ対策で最新鋭のバッティングマシンを借りて練習したのですが、直球が速くて当たらないし、130キロのスライダーも自打球になるので『練習にならない』と途中でやめたんです。でも、実際に対戦したダルビッシュはもっと凄かった。上背があるし、球は速いし、変化球も異常に曲がる。シンカーが左投手のスライダーみたいに曲がって。見たことない軌道でした。こんな凄い球を投げる投手がプロで活躍するんだなって。僕は直球が130キロ前半で球種も少ない。プロに行きたいなんて恥ずかしくて言えなくなりました」 松本も左の好投手で知られていた。2回戦・富山商高戦では完封勝利を飾っている。だが、ダルビッシュは住む世界が違った。千葉経大付属高は東北高戦で10安打、松本も2安打放っている。周囲はダルビッシュに対応したという見方だったが、当人は違った。「僕の安打はたまたま。他の選手にもどうやって打ったか聞いたら、『とにかく当てるしかない』と口をそろえていましたから」1試合で2安打放つとホッとしてしまう ダルビッシュに追いつこうとは考えられなかったが、大学で投手として頑張れば下位指名でプロにいけるかもしれない――。しかし、人生は分からないものだ。自身の思い描いた人生設計と違った野手転向が大成功だった。走攻守3拍子揃った外野手として高い評価を受け、想像すらしなかったドラフト1位でプロの世界に飛び込む。うれしかった半面、「僕はドラフト1位の器じゃない」という思いが消えなかった。「1軍の主力だけでなく、ファームの選手たちも体つきが全然違いました。技術以前の問題で体力がなかったので試合が続くとパフォーマンスが落ちる。あとは心が伴っていなかった。元々目立ちたくない性格で、あがり症なんです。新人のイベントでもマスコミはドラフト1位の僕だけ写真を撮るので居心地が悪かった。うれしかったはずのドラ1がいつの間にか大きな重圧になっていました」 他の選手と比べて足りない部分ばかり気になったが、首脳陣の見方は違った。強肩を誇る外野の守備、ミート能力が高く広角に打ち分ける打撃で能力は文句ない。監督が変わる度に期待の選手として松本の名前が挙げられた。だが、1軍に定着できない。コーチから何度もこの言葉を掛けられた。「素質はいいモノを持っているんだから、もっと自信を持て」 繊細な性格で自分の力を信じ切れない。このままではダメだと分かっている。殻を破ろうと必死だった。普段はおとなしい性格だが練習中から声を張り上げたり、スポーツ心理学の本を読み漁ったりしたことも。だが、状況は好転しない。年数を重ねると、失敗が許された若手の時と立ち位置が変わってくる。高校、大学の時のようにレギュラーが保証された立場ではない。1軍と2軍を行き来する立場で途中出場の1打席、守備のワンプレーで野球人生が大きく変わる。「絶対に結果を出さないと」。ベンチに控えている時から緊張で体が硬くなる。精神的に追い込まれ、気づくと試合に出るのが怖くなっていた。「1試合で2安打打ったら、あと1週間は1軍にいられるとホッとしてしまう自分がいた。周囲に『そういう考え方はダメだよ』と言われてもなかなか変えられなかった」 2017年オフ。DeNAから戦力外通告を受ける。プロ9年間で通算302試合出場、打率.235、7本塁打、45打点。将来の主軸と期待されながら、最後までレギュラーをつかめなかった。今も交流がある早大の後輩、斎藤佑樹へ 悔いはなかったが、やり切ったという感情も芽生えなかった。社会人・新日鉄君津かずさマジック(現・日本製鉄かずさマジック)に入団すると、ある誓いを立てる。「もうネガティブに考えるのはやめよう」。プロは毎日試合が続くため一喜一憂せず感情の起伏を抑えていたが、社会人野球では自然体でプレーすると笑顔が増えた。「野球が楽しいと初めて思えたんです。プロの時に気づけばよかったんですけどね。ちょっと遅かったかもしれないけど、幸せな時間でした」 1年目に主軸として都市対抗出場に導き、2年目の都市対抗はJFE東日本の補強選手で優勝を味わった。球場でプレーを観戦したDeNAのかつてのチームメートたちに「おまえがあんな楽しそうにプレーしている姿を初めて見たよ」と声をかけられたという。 松本には気になる後輩がいる。早大の2学年後輩で共にプレーした日本ハム・斎藤佑樹だ。現在も時々会食するなど交流がある。斎藤は松本と同じ大卒ドラフト1位で入団したが、昨年は1軍登板なしに終わるなど、2018年以降3年連続未勝利と苦しんでいる。斎藤のことを聞くと、少しの沈黙を置いた後にこう語った。「辛いだろうなあ……。置かれている立場は本人が一番分かっていると思います。僕とは比較にならないほどアマチュア時代から注目され続けてきましたが、素直な奴ですよ。大学時代は同学年の大石(達也)、福井(優也)の方が強い球は投げていたけど、斎藤はテンポが良かった。勝ち運も、あのテンポの良さが大きな要因だと思う。野手は守りやすいですから。 プロに入ってモデルチェンジしたり、色々やっていると思います。昨年のオフにも『1年でも長くプロでやってくれ』と本人には伝えました。今の斎藤は精神的に野球を楽しめない状況かもしれないけど、それでも楽しんでほしい。やっぱりプロ野球選手でいる時は幸せですから」 プロの世界で9年間身を置き、悩み苦しんできた時間が長かっただけに胸中を推し量れる部分がある。穏やかな口調で送った斎藤へのメッセージには愛情がこもっていた。取材・文/フリーライター・平尾類
2021.05.13 07:00
NEWSポストセブン
芸人・いけ団地が語る
マー君も中田翔も標的に?元球児芸人が懺悔する「甲子園の呪い」の効力
『アメトーーク!!』(テレビ朝日系)の人気企画・高校野球大好き芸人にも出演経験があるいけ団地(本名・池田和希)。ピン芸人である彼は、長崎・清峰高校のメンバーとして、2006年の春と夏の甲子園でベンチ入りし、選抜では準優勝に輝いた球歴を持つ。当時の清峰は、吉田洸二監督(現・山梨学院監督)と清水央彦コーチ(現・大崎高校監督)が両輪となる長崎屈指の強豪校だった。「吉田監督はチーム内の調和をとることに長けていて交友関係が広く、一方で清水コーチは、『甲子園に出場するのが目標ではなく、甲子園で勝つことが目標なんだ』と常々おっしゃっていて、とにかく野球に対して厳しく、職人肌の方でした。横浜高校の渡辺元智元監督と、小倉清一郎元部長のような関係性だったとおもいます」 いけ団地は部内のムードメーカーであると同時に、ひとつ“重要な役割”を担っていたという。本人曰く、清峰と対戦する学校の選手に“呪いをかける”というなんとも物騒なもの。その術式(?)の発動条件は“相手との接触”だ。 事の発端は2005年、2年の夏のことだった。いけ団地は、夏の甲子園に初出場を決めた先輩たちを声でサポートするため、応援団長を務めることになっていた。初戦の相手は、愛知・愛工大名電。その年の選抜を制していた優勝候補だった。「もともと僕は野球部内のいじられキャラで、『池田にかかわると不幸になる』みたいな感じでからかわれていたんです。そんな僕に対し、誰かが冗談で『愛工大名電の選手が乗るバスを触ってこい』と指示して、それを実行に移した。すると試合では、5回の攻撃中、二死満塁でショートに飛んだ打球が、愛工大名電のショートの胸元のユニフォームの中に入って取り出せなくなり、その間にチームは先制。そのままの勢いで清峰が勝利したんです。甲子園で起こった珍事として、覚えている高校野球ファンも多いのではないでしょうか。この時、新調したばかりのユニフォームだった愛工大名電は、この件がきっかけかどうかは分かりませんが、ユニフォームを元のデザインに戻すことになった」 最初は冗談のつもりだった。仲間内だけで盛り上がればそれだけで良かった。しかし、いけ団地がかかわった甲子園球児や学校が思わぬ不幸に次々と見舞われることで、「池田の呪い」は信憑性を増していく。 いけ団地が最上級生になり、「17」を背負った2006年春、初戦の相手は岡山東商業。今度は仲間から「岡山東商業のエースとメアドを交換してこい」との指令。いけ団地はメールアドレスを交換するだけでなく、相手校のコーチにもわざわざ挨拶をして回った。するとその甲斐もあってか(?)、試合中の相手エースの調子は上がらず、11対2と圧勝。 一方で、いけ団地の運の悪さは自身にも降り注ぐ。2回戦の東海大相模戦で、代打で登場した彼は、雨でぬかるんだ内野にヒットを放つ。しかし──。「その瞬間、NHKの中継は、ちょうどニュースに入って、僕のヒットの映像は放送されませんでした。すぐに足の遅い僕に代走が出されたので、中継を見ている人もベンチにいる僕のユニフォームがなぜ泥だらけなのかわからなかったと思います。その日、観戦に来られなかった母は、息子が甲子園初ヒットを打ったことを知りませんでした(笑)。どこまでついてないんでしょうね」 チームは準決勝で前田健太(現ミネソタ・ツインズ)のいたPL学園を破り、決勝に進出。紫紺の大旗を賭けた決勝は横浜を相手に、0対21と大敗したが、閉会式で首にかけてもらった準優勝のメダルはいけ団地にとって生涯の勲章だ。 そして、いけ団地の呪いの極めつきは最後の夏である。開会式の直前、球児たちは室内練習場に集められて入場を待っていた。いけ団地はレンズ付きフィルムの「写ルンです」を手にし、2006年の甲子園ヒーローたちと写真を撮っていく。 愛工大名電の堂上直倫(現・中日)に横浜高校のエース左腕・川角謙、大阪桐蔭の中田翔(現・北海道日本ハム)……そして夏3連覇を目指した駒大苫小牧の主将・本間篤史と、田中将大(現・楽天)らである。 堂上のいた愛工大名電は初戦で敗退し、横浜も大阪桐蔭に敗れ初戦敗退。その大阪桐蔭も2回戦で中田翔が早稲田実業の斎藤佑樹から4打席3三振を喫して敗れ去った。「唯一、写真を撮ろうとして撮れなかったのが斎藤佑樹選手です。ちょうどトイレに行っていたみたいで、戻った時には開会式が始まるところだった。延長15回引き分け再試合となった早稲田実業と駒大苫小牧の決勝で、本間選手は再試合を含め8打数無安打、田中マー君は大会期間中、体調を崩してしまい、決勝の再試合では最後の打者になってしまった……。あの年の甲子園で、結局、実力を存分に発揮できたのは、自分が写真を撮ろうとして撮れなかったハンカチ王子だけではなかったでしょうか。自分でも恐ろしい呪いです。誤解してほしくないのは、誰かを苦しめようとか、不幸にしようとか、そういう気持ちだったわけじゃない。最初はほんの、遊び心だったんです……」 いけ団地の恩師である清水氏は、長崎・大崎高校の監督として、今回の第93回選抜高校野球大会に出場した。1回戦の福岡大大濠戦の前日、いけ団地は清水を激励した。(呪いが降りかからないよう)気を遣って、選手たちと顔を合わせないようにしたのだという。 しかし、会ってしまった。駅の近くを歩いているときに、大崎の球児たちと遭遇し、近寄って来た後輩たちと一緒に記念写真を撮った。撮ってしまったのだ。 清峰時代、いけ団地の呪いの“効力”を身をもって体験していた清水監督は、福大大濠に敗れた試合後、筆者にこんなメッセージを送ってきた。「本当にもう、池田が最悪のタイミングで来てしまいました(笑)」 いけ団地の呪いはまだ続いている──のか。取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)
2021.03.30 16:00
NEWSポストセブン
木田優夫コーチが帽子を脱ぐと、選手やスタッフらが「チラ見」するという情報も…(時事通信フォト)
日本ハム・木田優夫コーチに熱視線 「増えている」疑惑を直撃
 プロ野球シーズンが始まる。もちろん、いちばん気になるのはひいきチームや選手の様子だが、スタッフからも目が離せない。たとえば、斎藤佑樹(32)に吉田輝星(20)と期待の投手がくすぶる日本ハムの二軍で、彼ら以上に“熱視線”を集める人がいる。木田優夫コーチ(52)だ。番記者が語る。「昨季までは一軍投手コーチでしたが、今季からは二軍総合兼投手コーチに。しかし、注目は選手の育成力ではなく……」 なんでも、オープン戦のイニングの合間などにベンチで木田コーチが帽子を脱ぐと、選手やスタッフらが「チラ見」するのだという。「失礼ながら昨年まで木田コーチの“てっぺん”は寂しかったのですが、今年のキャンプから明らかに増えているんです」(同前) 独身の木田コーチは、昨年9月の誕生日に「来年の誕生日までに結婚する」と宣言したばかり。今回の変化はそれと関係があるのか? 球団関係者が語る。「婚活の一環で、1年半ほど前から毎月数万円ほどかけて服薬治療をしていたようです。木田コーチも手応えを感じているようで、選手や記者の中にはコーチから直接スマホで昔の写真を見せられ、増毛の成果に感想を求められた人もいます」 木田コーチに話を聞いてみたところ、あっけらかんと認めた。「アッハッハー。増毛は本当ですが、これ以上はコメントできません(笑い)」 戦力の底上げに先立ち、頭髪の立ち上げに成功。秋には、リーグ優勝と結婚のW快挙達成なるか。※週刊ポスト2021年4月2日号
2021.03.23 16:00
週刊ポスト
輝きはどこで失われたのか(左は應武監督、時事通信フォト)
斎藤佑樹 早大時代の恩師が明かす「大学3年の異変」の正体
 広島・崇徳高校の野球部監督を務める應武篤良(おうたけ・あつよし、62)のもとに、北海道日本ハムの斎藤佑樹(32)から次のようなLINEメッセージが届いたのは11月13日のことだった。〈(プロ入りして)10年が過ぎました。報道にあるように、ヒジを完璧に戻して来年頑張ります〉 早稲田実業から早稲田大学に進学した斎藤を、4年間同大の監督として指導した應武は語る。「律儀な男でね。節目には必ず連絡をよこします。しかし、ここ数年は連絡がある度に、(戦力外の報告ではないかと)ドキッとしますね」田中がベンツなら、斎藤は軽自動車だった プロ入りからの10年間で15勝26敗の成績しか残せず、今季、右ヒジの痛みに悩まされたという斎藤はとうとう一軍登板がなかった。“血の入れ替え”を積極的に行い、大量採用・大量解雇が主流の現在のプロ野球界にあって、斎藤はいつクビとなってもおかしくない立場に違いなかった。だが、手負いの斎藤の現役続行は決定的。しかも来季は治療に専念するという。リハビリ期間を考えれば、少なくとも2年間はクビがつながったかたちだ。 斎藤のケガの詳細は、右ヒジ靱帯の損傷とも、断裂ともいわれる。当然、應武には報告されているのではないだろうか。「たとえ靱帯断裂であっても、トミー・ジョン手術(ヒジの靱帯再建手術)のようにヒジにメスを入れる選択肢以外に、様々な治療法がある。また復活してくれることでしょう」(取材後の11月23日、日本ハムの吉村浩GMは斎藤が手術をせず、保存療法で復帰を目指すことを明言した) 引き分け再試合までもつれた2006年夏の駒大苫小牧との甲子園決勝で、“ハンカチ王子”と呼ばれた斎藤は全国制覇を遂げた。早稲田大に進学すると、1年春から六大学野球の開幕ゲーム(東大戦)に登板し、勝利。リーグ優勝、全日本大学選手権でも優勝を遂げ、秋もリーグ制覇。順風満帆の野球人生を送っていた。 ところが、高校時代から斎藤を追い続けていた私の目に異変が映ったのは大学3年生だった2009年だ。高校時代は最速149キロだった斎藤の球速が130キロ台にとどまり、変化球も曲がりが早く簡単に見極められてしまう。主将となった4年の秋は、東大戦の敗戦投手となり、慶応大との優勝決定戦までもつれたリーグ戦を制したものの、球威も打者の狙いの裏をかくような投球術も斎藤からは消えていた。 3年時の異変が、ハンカチフィーバーの終焉、そしてプロ入り後10年間の野球人生に影を落とす要因となっているのではないかというのが私の見立てだ。それを應武に尋ねることが広島に向かった理由であった。「今だから言える話もある。甲子園でハンカチ王子と呼ばれ出した頃は、“あの身体でプロはないよな”が正直な印象だった。ライバルとされる田中将大(32、ヤンキースから今オフFA)と比べれば、ベンツと軽自動車ぐらい、積んでいるエンジンに差があった。早稲田の学士をとって社会に出ることが彼に相応しい進路だと私は思っていました」ステップ幅が「6歩半から7歩」へ 2007年1月に初めて斎藤が大学の練習に参加した時、200人の報道陣が早大の安部球場に集結し、一挙手一投足を追った。應武は戸惑った。「カメラのクルーだけじゃなく、腕を組んで練習を見つめるだけの部長クラスの人まで斎藤見たさにやってきていた。開幕戦の東大戦に起用したのは、東大戦ぐらいは抑えるだろうと思ったから。いわゆる顔見せだった。明治や法政、慶応が相手なら、木っ端微塵にやられるだろうと思っていました。ところが、けが人が出たチーム状況もあり、その後も斎藤を使わざるを得なかった」 ファンと報道陣の期待もあり、簡単には斎藤を休ませることもできない。一方で、良い意味で期待を裏切り白星を挙げ続けた斎藤は大学日本代表にも選出され、海外遠征も続いた。「そして、3年になると股関節を傷めた。もともと股関節が硬いんです。大学野球で対戦する相手投手は、斎藤よりも大きな投手がほとんど。背が大きければ歩幅も大きく、日本の柔らかいマウンドだとどうしても大きな穴が掘れてしまう。斎藤がそうしたマウンドに上がると、自然と踏み込んだ足が穴で滑るようになり、結果、ステップ幅が拡がってしまうんです」 気付かぬうちにステップ幅が高校時代の6歩半から7歩に広がっていた。それが股関節に負担となっていたのだ。負荷がかからないフォームを、スポーツ科学部で学ぶ学生のトレーナーらと模索するうち、今度は右肩の可動域が狭まり下半身と上半身のバランスを崩した。「明らかに勤続疲労でした。マスコミも登板を期待するし、本人も『投げさせてください』と言い続ける。私が鬼になって、入学当初から試合に起用せず、下半身強化に時間を割いていれば状況は違ったかもしれない。1年ぐらい肩を休ませても良かった。以降、斎藤は慢性的な股関節の痛みと付き合うことになった」今でもYouTubeで斎藤を見ている 高校時代から評論家に指摘されていたのは、投球の際に踏み出した左足が棒のように突っ張ることだ。「伸びた膝がストッパーになって、体重が打者方向に乗らないから、上体投げになってしまう。股関節が柔らかければ……。本人はここが痛い、あそこが痛いとは言わない子なんです」 母校・崇徳高校の監督となっても應武は、二軍にいる斎藤のピッチングをYouTubeなどでチェックしている。「大きくフォームを変えたところはありませんが、試行錯誤のあとが見えるし、悩んでいるのがよくわかる。それでも試合後のインタビューなどを読むと、『良い所が見つかった』と。相変わらず弱音を吐かない男だなと思いますよ」 在籍10年が経ち、ベテランの域に入っていく斎藤は、3年間勝利がなくとも、右ヒジに爆弾を抱えていても、現役を続けられる。甲子園のヒーローにして、ドラ1である右腕へのこうした厚遇がかえって、他の選手や日ハムファンの反感を買い、斎藤をより難しい立場に追いやっている気もする。 他球団なら既に戦力外になっていてもおかしくないし、支配下から外して育成契約にし、回復状況を見極めるモラトリアムが設けられてもおかしくない。「斎藤に(育成選手に与えられる)100番台の背番号が似合いますか? それでユニフォームが売れますか? “あの身体でよくやっているな”が私の率直な感想です。“よくやった”とはまだ言いたくない」 正念場を迎えている教え子に、強面の應武らしいエールを贈った。(文中敬称略)●取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)
2020.11.29 07:00
NEWSポストセブン
甲子園活躍組、吉田輝星と清宮幸太郎に「燃え尽きた」の指摘
甲子園活躍組、吉田輝星と清宮幸太郎に「燃え尽きた」の指摘
 2020年シーズンのプロ野球は、ロッテ・佐々木朗希(18)やヤクルト・奥川恭伸(19)といった高卒ルーキーが注目される一方で、影が薄れつつあるのが2018年の高卒ドラ1の日本ハム・吉田輝星(19)。 昨年6月に初先発で初勝利を飾ったが、その後は打ち込まれ1勝3敗、防御率12.27とほろ苦いルーキーイヤーだった。勝負の2年目を迎えるが、6月3日の練習試合では1被弾を含む1回2失点。甲子園を沸かせた150km超の直球は影を潜め、最速144km止まり。「課題の制球難を改善するために投球フォームを修正したことで、持ち味の躍動感が失われてしまった。栗山英樹監督も渋い表情で、試合後には本人と“プロ野球で何をしたいか”について直接話す方針を明かしたほどです」(スポーツジャーナリスト) 3年目の清宮幸太郎(21)も精彩を欠いている。昨年、同期のヤクルト・村上宗隆(20)が36本塁打を放つ大ブレイクを果たしたが、昨年7本塁打の清宮は練習試合でなかなか安打が出ず、出塁しても味方の打球が当たり、守備妨害を取られるなど散々。「清宮はDHでは王柏融(26)、一塁では中田翔(31)に勝たねばならない。守備を大目に見ても打撃が開花しない限り、レギュラーは厳しい」(スポーツ紙デスク) 野球評論家の江本孟紀氏も2人に辛辣だ。「甲子園で注目されて高校がピークだという選手がいるんですよね。だから甲子園で活躍して燃え尽きた選手よりも、甲子園に行けなかった素質のある選手のほうがプロで伸びたりする。斎藤佑樹がいい例ですが、吉田も同じパターンです。清宮も素質はあるんでしょうが、鍛え方が足りずすぐに故障をする。ハングリー精神に欠けているというか、あらゆる面でプロに転換できていない」 まずは意識の改革からか。※週刊ポスト2020年6月26日号
2020.06.16 07:00
週刊ポスト
巣ごもりGW到来でテレビ番組充実! 注目番組65を一挙紹介
巣ごもりGW到来でテレビ番組充実! 注目番組65を一挙紹介
 外出できない大型連休、”我が家でテレビ漬け”という人は多いだろう。今年は収録自粛やスポーツイベント中止の影響で、各局ともギリギリまで番組編成に慌ただしかった。その結果、今年のGWは名作映画・ドラマが充実している。 テレビ東京では『グラディエーター』(4月30日)、『武士の家計簿』(5月5日)、『殿、利息でござる!』(6日)などが目白押し。NHKのBSプレミアムは『ゴッドファーザー』(4月29日)、『ゴッドファーザーPARTII』(5月6日)などのラインナップだ。 スポーツイベント中止にがっかりしているファンには、過去の“名勝負”の特別番組がある。 5月3日のNHK BS1では、早稲田実業の斎藤佑樹(現・日本ハム)と、駒大苫小牧の田中将大(現・ヤンキース)が延長15回再試合の死闘を演じた2006年夏の甲子園決勝を振り返る。5月9日のBS日テレでは、昨年日本中が歓喜に沸いた『ラグビーワールドカップ2019 日本対ロシア』の再放送を予定。「スポーツ中継がほとんどなくなった中、各局がスポーツファンの喪失感を埋める番組を企画しています」(テレビ誌記者) 旅行を中止した人には、旅情感を味わえる旅番組や教養番組がもってこい。『土曜スペシャル「鉄道沿線ひたすら歩き旅」』(5月2日・テレビ東京)や『アーカイブス秘蔵映像でよみがえるにっぽんの廃線100』(5月4日・NHK総合)、『三宅裕司のふるさと探訪~こだわり田舎自慢~』(5月6日、BS日テレ)などがある。 混迷極める社会情勢が気になる方は、5月4日の放送をチェック。日テレでは『櫻井翔×池上彰 教科書で学べないニッポンの超難問』で新型コロナや五輪延期の問題を深掘り。一方、NHKBS1では、その裏の時間帯で新型コロナ禍の中国を取材した骨太ドキュメンタリーを放送する。 あなたらしい視聴計画を組んでみては?※週刊ポスト2020年5月8・15日号
2020.04.27 07:00
週刊ポスト
堀内恒夫は1966年にプロ入りした(時事通信フォト)
野茂、堀内、松井、大谷ら 新人時代から大活躍した名選手達
 プロ野球界にはルーキーイヤーから大活躍する選手たちがいる。ここでは野茂英雄、堀内恒夫、松井秀喜ら、7人の選手たちのデビュー当時を振り返ってみよう。◆堀内恒夫(1966年プロ入り) 1年目成績 登板試合:33 勝利:16 敗北:2 防御率:1.39 奪三振:117 開幕3戦目に高卒ルーキーとして初先発。これを初勝利で飾ると7月までに13連勝し、1年目は16勝2敗で終えた。最優秀防御率と最高勝率に輝き、新人王と沢村賞にも選ばれた。44イニング連続無失点は今も塗り替えられていない新人記録となっている。2年目以降もコンスタントに勝ち星を挙げ、巨人V9のエースとして活躍。13年連続2ケタ勝利をマークした。 ふてぶてしいまでのマウンド度胸からついた異名は“甲斐の小天狗”“悪太郎”。入団に際しての取材では、時間や場所を変えて1社ずつ同じような質問をされるのが面倒臭くなり、「誰かが代表して聞いてくれませんか」と言い放った。門限破りの常連で、鬼軍曹と呼ばれた武宮敏明寮長から叱られた時に「憲法で決まっているわけではない」と反論した逸話もある。◆松井秀喜(1993年プロ入り) 1年目成績 出場試合:57 安打:41 打率.223 本塁打:11 打点:27 12年ぶりに長嶋茂雄監督が巨人へ復帰したシーズンに華を添えたのが、甲子園での5打席連続敬遠が社会現象になったゴールデンルーキー・松井秀喜だった。4球団競合による抽選で引き当てた松井の背番号55は、王貞治の最多本塁打記録(当時)にちなんだ数字。長嶋監督の松井へのホームランバッターとしての期待の大きさがうかがえる。 キャンプでは場外弾を連発したが、オープン戦では不調(打率.094、20三振)だったため開幕は二軍で迎えた。5月に7番レフトで一軍デビューを果たし、2試合目に高津臣吾から初本塁打を放っている。 6月には二軍に降格したが、フレッシュオールスターでMVPを獲得し、8月に一軍へ再昇格するとヒットを連発し、3番に定着。ルーキーイヤーは11本塁打を放ち、セ・リーグ高卒ルーキーの本塁打記録を更新し、翌年からレギュラーに定着した。◆大谷翔平(2013年プロ入り) 1年目成績【投手】登板試合:13 勝利:3 敗北:0 防御率:4.23 奪三振:46【打者】出場試合:77 安打:45 打率:.238 本塁打:3 打点:20 花巻東高時代、地方大会でアマ野球史上最速の160キロを記録し、日米から注目された。大谷はメジャー挑戦を表明したが、日本ハムが投手と野手の二刀流育成プランを提示し、ドラフト1位で獲得。46年ぶりに高卒新人でプロ初勝利と初本塁打を記録した。◆野茂英雄(1990年プロ入り) 1年目成績 登板試合:29 勝利:18 敗北:8 防御率:2.91 奪三振:287 史上初の8球団競合の末、近鉄に入団。プロ初勝利を17奪三振の日本タイ記録(当時)で飾ると、5試合連続2ケタ奪三振を記録。ルーキーイヤーは最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手4冠のほか、新人王、ベストナイン、MVP、沢村賞を受賞。◆田中将大(2007年プロ入り) 1年目成績 登板試合:28 勝利:11 敗北:7 防御率3.82 奪三振:196 夏の甲子園決勝で早実高の斎藤佑樹(現日本ハム)と投げ合い、ドラフトでは4球団が競合、楽天に入団。高卒1年目では歴代4位の196奪三振でシーズンを終え、186イニング1/3を投げて11勝。1999年の松坂大輔以来、8年ぶりに高卒1年目の新人王が誕生した。◆上原浩治(1999年プロ入り) 1年目成績 登板試合:25 勝利:20 敗北:4 防御率:2.09 奪三振:179 ドラフトでは松坂と話題を二分。巨人が逆指名を勝ち取った。初登板は黒星だったが、歴代4位タイの15連勝を記録し、33年ぶりに堀内が持つ新人連勝記録(13連勝)を更新。木田勇以来となるルーキー20勝をマークし、新人王と沢村賞をダブル受賞した。◆立浪和義(1988年プロ入り) 1年目成績 出場試合:110 安打:75 打率.223 本塁打:4 打点:18 PL学園の主将として甲子園で春夏連覇(1987年)を達成し、ドラフトでは南海と競合した中日が獲得。開幕で一軍メンバーに名を連ねると、2番ショートで先発出場。新人王に選ばれ、高卒ルーキーとしては史上初となるゴールデングラブ賞を受賞した。※週刊ポスト2020年4月10日号
2020.04.01 07:00
週刊ポスト
中村奨成と清宮幸太郎(時事通信フォト)
清宮vs中村、大谷vs藤浪、坂本vs堂上、甲子園好敵手の明暗
 超高校級エースが主役となった今年のドラフトだが、2年前は「2人のスラッガー高校生」が人気を集めた。 高校通算111本塁打の清宮幸太郎(早稲田実業)と、夏の甲子園で6本のホームランを放ち、大会本塁打記録を塗り替えた中村奨成(広陵)だ。 7球団競合で日本ハムに入団した清宮はルーキーイヤーに早実の先輩・王貞治の1年目と並ぶ7本塁打をマーク。2年目には4番を任されるなどプロでも着実にスラッガーの道を歩んでいるが、一方、広島に入団した中村は一軍での出場はゼロ。現時点では、清宮に水をあけられている。 しかも今季は春季キャンプで故障、実戦復帰の初戦で頭部死球を受けて退場するなど不運続きだ。 広島OBの安仁屋宗八氏は、「DHでも出られる清宮と違い、捕手の中村はどうしても一軍出場のハードルが高い。木製バットへの対応力は悪くないので、まずは二軍で結果を残し、来季の昇格が期待されます」とエールを送る。「二刀流」の活躍で、今やメジャーの最注目選手となった現エンゼルスの大谷翔平(花巻東)が日本ハムに指名されたのは2012年のドラフト。 メジャー行きを公言する中での単独強行指名が話題を集めたが、このドラフトで高卒一番人気だったのは4球団競合の藤浪晋太郎(大阪桐蔭)だった。 阪神に入団した藤浪もルーキーイヤーから活躍し、プロ50勝に到達しているが、近年の絶不調は周知の通り。 右打者への“死球癖”は特に深刻で、対戦チームから「藤浪が投げるなら右打者は出場させられない」と言われているほど。トレード話もたびたび取り沙汰され、大谷を再び逆転するには時間がかかりそうだ。 斎藤佑樹(早実)と田中将大(駒大苫小牧)の壮絶な投げ合いに沸いた2006年の夏の甲子園。だが、斎藤が早大に進学したためドラフトでは「打者対決」が注目を集めた。 巨人、中日、阪神が指名し、中日が交渉権を獲得した堂上直倫(愛工大名電)と、外れ1位で巨人に入団した坂本勇人(光星学院)だ。「巨人の顔に成長し、今季は40本塁打をマークしている。三冠王も狙える位置にいる坂本に対して、堂上が規定打席に到達したのは1年シーズンだけ。巨人にとっては“外れクジが大当たりだった”ことになる」(スポーツ紙デスク)※週刊ポスト2019年11月8・15日号
2019.10.28 07:00
週刊ポスト
高校野球「球数制限」導入で甲子園の「大エース」が消える
高校野球「球数制限」導入で甲子園の「大エース」が消える
 高校野球に「球数制限」がルールとして導入されようとしている。このルールがあったとしたら、過去の甲子園の名場面は、どうなっていたのか――10月16日に発売される新著『投げない怪物 佐々木朗希と高校野球の新時代』で、激変する高校野球の現場を追ったノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。 * * *“令和の怪物”こと佐々木朗希(岩手・大船渡)が10月2日、プロ志望届の提出を表明した。10月17日のドラフト会議に向けて俄然、注目が高まっている。 今年の夏の岩手大会では、佐々木の起用法を巡って、国民的な議論が巻き起こった。大船渡の國保陽平監督は連投による佐々木の肩・ヒジの故障を防ぐため、花巻東との決勝戦で佐々木を起用しなかったのだ。甲子園切符がかかった場面で、球界の宝となるべき球児の身体が優先される判断だった。この登板回避こそ、高校野球に新たな価値観が登場したことを象徴する出来事だった。 岩手大会決勝からおよそ2か月後――日本高等学校野球連盟(以下、高野連)は9月20日に開かれた「投手の障害予防に関する有識者会議」で、来春の選抜から「1週間で500球以内」「3連投禁止(3日続けての登板の禁止)」といった投球制限を設ける方針を固めた(3年間は試行期間)。佐々木の登板回避という“事件”が議論を加速させた側面もあるだろう。 この新ルールによって、高校野球は大きく変わるはずだ。 2006年夏の決勝・早稲田実業(西東京)対駒大苫小牧(南北海道)は、延長15回を戦っても決着が付かず、再試合となった。駒大苫小牧の田中将大(現・ヤンキース)と共にこの試合で怪物級の投球をみせたのが早稲田実業のエース・斎藤佑樹(現・北海道日本ハム)だった。「ハンカチ王子フィーバー」を巻き起こした斎藤は、再試合を含め全7試合をほぼひとりで投げ抜き、その球数は史上最多となる948球を数えた。 この大会の斎藤の球数に対して、新ルールを“適用”するとどうなるか。まず、日程と球数を整理してみる。■2006年 第88回全国高等学校野球選手権大会8月6日(1回戦)対鶴崎工(大分)/126球8月12日(2回戦)対大阪桐蔭(大阪)/133球8月16日(3回戦)対福井商業(福井)/136球8月18日(準々決勝)対日大山形(山形)/144球8月19日(準決勝)対鹿児島工業(鹿児島)/113球8月20日(決勝)対駒大苫小牧(南北海道)/178球8月21日(決勝再試合)対駒大苫小牧(南北海道)/118球 ここに「1週間で500球」の規定を当てはめてみると、3回戦の福井商業戦から3日後の準決勝・鹿児島工業戦までで計393球になる。となれば準決勝の翌日に行われる決勝では107球しかなげられなかったことになるし、決勝再試合も登板NG。「3連投禁止」の規定のほうに照らすと、当時は準々決勝翌日に休養日がなかったため、決勝のマウンドにも上がれなかったことになる。3回戦から決勝再試合までの5試合を6日間で消化した斎藤が、この期間で投じた球数は、689球にのぼる。 現行のスケジュールに近い、2018年夏の金足農業・吉田輝星(現・北海道日本ハム)のケースはどうだったか。■2018年 第100回全国高等学校野球選手権大会8月8日(1回戦)対鹿児島実業(鹿児島)/157球8月14日(2回戦)対大垣日大(岐阜)/154球8月17日(3回戦)対横浜(神奈川)/164球8月18日(準々決勝)対近江(滋賀)/140球8月20日(準決勝)対日大三(西東京)/134球8月21日(決勝)対大阪桐蔭(大阪)/132球 すでに準々決勝翌日に休養日が設けられている。今夏からは準決勝の翌日も休養日となったので、雨天順延などによって日程が詰まった場合を除き、現行スケジュールでは「3連戦」は起こり得ない。ただ、やはり「1週間で500球」の制限には引っかかってくる。吉田は2回戦の大垣日大から準々決勝の近江戦までに5日間で計458球を投じており、2回戦から数えて7日目となる準決勝・日大三戦では42球しか投げられなかったことになる。実際には吉田は強力打線の日大三を9回1失点に抑えてチームを決勝に導き、「カナノウ旋風」は頂点に達した。 こうして改めて見ていくと、斎藤、吉田、さらには松坂大輔(現・中日)といった過去に甲子園を沸かせた怪物たちのような大エースは、新ルールのもとでは生まれ得ないことがわかるのだ。 高校野球は、大きな転換点を迎えた。
2019.10.12 16:00
NEWSポストセブン
高校時代にイチローを抑え松井秀喜に壁を感じさせたエース
高校時代にイチローを抑え松井秀喜に壁を感じさせたエース
 今年のドラフトの目玉として注目を浴びる星稜・奥川恭伸と大船渡・佐々木朗希。超高校級の“2大エース”といえば、過去には「田中将大と斎藤佑樹」、「大谷翔平と藤浪晋太郎」らが思い出される。彼らのライバル関係はその後プロでも続き、大きく明暗を分かつこともある。球史を彩ったライバルたちのドラマを追った。 高校生の当たり年といわれた1987年のドラフトは、伊良部秀輝(尽誠学園)と、3年夏に準決勝にまで勝ち進んだ川島堅(東亜学園)が注目の的となった。「伊良部は3回戦で敗れたもののナンバー1豪腕といわれ、準決勝まで勝ち上がった川島は34イニング連続無四球の記録を残すなど高校生の即戦力として期待されていた。川島は広島に入団後3年目の1990年にヒジを故障し、台湾でのプレーを経て引退。一方の伊良部はロッテで2年連続で最多奪三振を獲得するなどの活躍を見せた後、ヤンキースに移籍。MLB6年で34勝35敗16セーブをあげた」(スポーツジャーナリスト) イチロー(名電)がオリックスに4位指名された1991年ドラフトで注目されたのは、センバツ1回戦でイチローを無安打に抑えた上田佳範(松商学園)だった。上田は夏も甲子園に出場し、準々決勝で2年生の松井秀喜(星稜)と対戦。松井は上田について「野球人生で初めて壁を感じた」と振り返っている。「上田は日本ハムに1位指名されたが、一軍登板がないまま外野手に転向。一方、甲子園出場経験はないものの、県予選4試合で52奪三振を記録した石井一久(東京学館浦安)をヤクルトが1位指名し、日米通算182勝をあげた」(同前) 石井を見出した元スカウト・片岡宏雄氏が語る。「体格にも恵まれ、ストレートも早かった。伸びしろを感じました。他球団スカウトの目に触れないよう、“甲子園に行かないでほしい”と思いながら県予選を見ていました」 プロ選手としての奥川と佐々木のドラマはこれから始まる。輝くのはどちらか。※週刊ポスト2019年9月6日号
2019.09.06 07:00
週刊ポスト
プロでの活躍が楽しみな佐々木と奥川(撮影/藤岡雅樹)
奥川・佐々木はどうなる? 超高校級投手のプロ入り後の明暗
 今年のドラフトの目玉として注目を浴びる星稜・奥川恭伸投手と大船渡・佐々木朗希投手。こうした高校野球でのライバル関係は、「田中将大と斎藤佑樹」のようにその後プロでも続き、大きく明暗を分かつこともある。1964年夏の準優勝投手・池永正明(下関商)とセンバツ優勝投手・尾崎将司(徳島海南)は翌年、西鉄に揃って入団した。当時は鉄腕・稲尾和久を擁する全盛期だった。「池永は1年目から20勝を挙げて新人王、1967年には23勝14敗で最多勝に輝いた。その活躍を見た尾崎が“あんな凄い奴がいたら俺は成功できない”とゴルフに転身した。しかし尾崎がプロテストに合格した1970年に、池永は『黒い霧事件(※)』でプロ野球界を去ることになってしまいました」(ベテラン記者)【※/1969年に発覚した一連の八百長事件。池永をはじめ多数の永久追放者を出した。池永はその後、球界への復権を希望し、2005年に永久追放処分が解除された】 1965年秋の初ドラフトでは、巨人が堀内恒夫(甲府商)、近鉄が鈴木啓示(育英)を獲得した。「堀内は1年生の夏に甲子園でリリーフ登板するも、3年時は県予選決勝で敗退。鈴木も3年のセンバツで初戦敗退し、夏は出場できなかった。両者とも甲子園より、プロに入って輝いた。堀内は1年目に16勝2敗で新人王、最優秀防御率、沢村賞を獲得。鈴木も5年連続で20勝をマークするなどセ・パを代表するエースになった」(元デイリースポーツ編集局長・平井隆司氏) 大きく明暗が分かれたのが、1974年夏の優勝投手・土屋正勝(銚子商)と、同大会の準決勝で敗退した定岡正二(鹿児島実業)だ。 土屋は前年の夏の甲子園で2年生エースとして江川卓(作新学院)と対戦、延長12回を投げ勝ったこともあって最注目投手だったが、中日入団後は11年間でわずか8勝。一方、巨人入りした定岡は江川、西本聖と並ぶ3本柱として活躍した。「土屋は“江川に勝った男”として名が知れわたり、2年秋から3年夏にかけて全国から招待試合の申し込みが殺到。投げすぎで入団前から肘や肩はボロボロになっていたようだ」(ベテラン記者)◆荒木大輔の抽選を外した巨人は斎藤雅樹を獲得 1981年の注目株は、同じ愛知県のライバル、槙原寛己(大府)と工藤公康(愛工大名電)だった。2人は愛知県代表の座を奪い合い、春は槙原の大府、夏は工藤の名電に軍配が上がった。 工藤は夏の初戦でノーヒットノーランを達成するも、準決勝で報徳に敗れた。槙原はセンバツで金村明義擁する報徳学園を下した。 槙原は地元の中日か、ファンだった巨人以外なら社会人に行くと宣言。工藤は社会人の熊谷組に内定しており、指名が見送られると思われていた。「ドラフト会議当日、巨人が槙原を単独1位指名すると会場がどっと沸きましたが、それ以上にどよめいたのが、西武が工藤を6位指名した時でした。監督から管理部長としてフロント入りした根本陸夫さんの“根本マジック”が炸裂し、“球界の寝業師”と呼ばれる所以となった」(同前)  翌1982年の夏は、5季連続で甲子園出場を果たした“大ちゃん”こと荒木大輔(早実)が甲子園のアイドルとして注目を集めた。 その荒木を“やまびこ打線”の池田が準々決勝で下し、深紅の優勝旗を持ち帰る。池田のエースだった畠山準を南海が単独指名。荒木は巨人との競合の末、ヤクルトが引き当てた。「畠山は投手として4年間で6勝し、外野手に転向。荒木もプロ10年で39勝49敗2セーブに終わりました。 荒木の抽選を外した巨人がハズレ1位で指名したのが、甲子園出場経験のない斎藤雅樹(市立川口)だった。それが巨人のエースとして通算180勝をあげたのですから、運命はわからない」(前出・平井氏)撮影/藤岡雅樹※週刊ポスト2019年9月13日号
2019.09.05 07:00
週刊ポスト

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クルマ、ギター、アート、スケートボードにもこだわる
長瀬智也、英国のバイク誌に登場 悠々自適な暮らしに「所ジョージ化している」の声
女性セブン
小室圭さんと眞子さん
小室圭さん妻・眞子さんがNYで行きつけのスーパーから見えてきた“妻の気遣い”「日本でいえば『成城石井』」 
NEWSポストセブン
京都の街を歩く舞妓のイメージ(写真/イメージマート)
元舞妓の〈16歳飲酒〉〈お風呂入り〉告発に、花街関係者も衝撃「未成年飲酒には厳しく対応しているはず」
NEWSポストセブン
不祥事を理由に落選したはずなのに、比例で復活されては…(左は塚田一郎氏、右は中川郁子氏/写真=共同通信社)
「不倫路チュー」「USBは穴に…」失言・不祥事で落選しても比例復活するゾンビ議員たち
週刊ポスト
注目を集めるNHK吉岡真央アナ
「ポスト和久田麻由子アナ」候補のNHK吉岡真央アナ 替え歌ダンスで“キャラの強さ”際立つ
週刊ポスト
前田敦子と篠田麻里子の女子会姿をキャッチ
前田敦子、篠田麻里子と六本木で4時間半女子会 元夫・勝地涼との関係は良好に
女性セブン
謎めいたバッグを持つ広末涼子
広末涼子、“破壊力強すぎ”コーデは健在「背中に蜘蛛」私服に続き目撃された「謎バッグ」
NEWSポストセブン
結婚し、日本メディアが情報をキャッチしづらいNYで、デイリーメールが追跡取材(写真/JMPA)
小室圭さん・眞子さん夫婦が「離婚で終わったとしても…」英デイリー・メールが報じた「茨の道」
NEWSポストセブン