田中将大一覧

【田中将大】に関するニュースを集めたページです。

各界のスター選手はその活躍にふさわしい報酬を手に入れている(写真/AFLO)
大谷翔平、大坂なおみ、松山英樹…超一流日本人アスリートの推定年収
 世界中が固唾をのんで見つめるアスリートには計り知れない広告効果が生まれ、桁違いの富が集中する。日本人トップ選手たちもその活躍にふさわしい報酬を手に入れているようだ。億万長者となっている各界のスター選手を一覧してみよう。【※推定年収は、各種報道での2021年の実績をもとに2022年の収入を編集部が推定(1ドル≒125円で換算)】●大谷翔平(27)ロサンゼルス・エンゼルス投手・DH 推定年収/34億円 本業の年俸は550万ドル(約7億円)だが、アシックスやデサントなど日米15社とのスポンサー契約は1件あたり100万ドル以上で、年間総額は2000万ドル(25億円超)にのぼる。●渋野日向子(23) 推定年収/4億円 2020年からサントリーと3年3億円(年間1億円)の所属契約。アメリカツアーでの獲得賞金に加え、RSK山陽放送やナイキなど約9社のスポンサー収入や9000万円にのぼるCM出演料が入る。●松山英樹(30) 推定年収/38億円 獲得賞金は約5億3400万円(2022年4月時点)。ダンロップとの5年契約(総額30億円)、レクサスとの5年契約(総額10億円)など、約10社との契約金は年間30億円以上にのぼる。●大坂なおみ(24) 推定年収/75億円 昨年の女性アスリートの収入ランキング1位。今年、日清食品所属からフリーに転身するも、ルイ・ヴィトンなどとのスポンサー契約は続行。契約料はナイキとタグ・ホイヤーだけで20億円といわれる。テニスの獲得賞金は年間5億円前後。●錦織圭(32) 推定年収/32億5000万円 過去5年の獲得賞金は年平均1億9000万円。所属の日清食品とは昨年末に契約終了し、今季はフリーで臨む。獲得賞金以外の収入は、ユニクロ12億円、ウィルソン2億5000万円など約10社のスポンサー料で総額30億円にのぼる。●村田諒太(36) 推定年収/7億円 日本初のスポーツ独占生配信(アマゾン)となった“世紀の一戦”ミドル級王座統一戦のファイトマネー6億円(日本人ボクサー史上最高額)に加えて、数千万円のグッズ収入を得た。対するゴロフキンのファイトマネーは15億円。村田は他に、マイナビなど約10社と総額1億円のスポンサー契約を結ぶ。●鈴木誠也(27)シカゴ・カブス外野手 推定年収/21億5000万円 今年3月にカブスと5年総額8500万ドル(約106億7000万円)で契約。メジャーに移籍した日本人野手初年度として最高額で、広島時代の年俸3億円から大幅なアップとなった。●田中将大(33)楽天ゴールデンイーグルス投手 推定年収/10億円 年俸9億円は日本球界最高額。大塚製薬、楽天モバイルなどのCMに出演。昨季は4勝どまりだったが、今季はすでに2勝目を挙げ、日米通算200勝まであと17勝に迫る(2022年4月5日時点)。●ダルビッシュ有(35)サンディエゴ・パドレス投手 推定年収/28億円 年俸は日本人メジャーリーガー最高額2200万ドル(約27億6500万円)。この他に約57万人もの登録者を持つ自身のYouTubeで、300万~1000万円の広告収入を得る。●八村塁(24)ワシントン・ウィザーズ 推定年収/20億円 年俸約6億円に加え、NECや日清食品、大正製薬などと結ぶスポンサー契約は約14億円。もう1人のNBA選手・渡邊雄太の年俸は2億円。●井上尚弥(29) 推定年収/11億5000万円 6月7日のノニト・ドネア戦のファイトマネーは、軽量級では破格の100万ドル(約1億2500万円)。ほかに、NTTぷららやTBCなど、国内外の大手企業とのスポンサー契約は総額10億円に達する。●本田圭佑(35) 推定年収/10億円 現在、サッカーは無所属のため、収入は自身の会社やサッカークラブ経営、カンボジア代表監督の年俸、スポンサー料など。日本人現役サッカー選手最高年俸は、リバプール・南野拓実(27)の5億9000万円。海外の超一流アスリートは…?●リオネル・メッシ(34)パリ・サンジェルマン 推定年収/91億6000万円 年俸51億6000万円。その他、生涯契約を交わすアディダスをはじめ、スポンサー収入は総額約40億円といわれる。同じパリ・サンジェルマンに所属するネイマール(30、右)の年俸は65億2000万円で、ピッチ外の収入は約23億8000万円とされる。●レブロン・ジェームズ(37)ロサンゼルス・レイカーズ 推定年収/131億円 年俸は約51億7000万円。コート外では生涯契約となるナイキの21億円の他、スポンサー収入、株や不動産投資のロイヤリティ、企業の役員報酬などでも収入を得ている。●ロジャー・フェデラー(40) 推定年収/102億円 収入のほとんどを占めるスポンサー契約のうち、特に巨額なのがユニクロの340億円(10年契約)。膝の負傷でしばらく大会に出ておらず、今年半ば頃に復帰が予定されている。●タイガー・ウッズ(46) 推定年収/60億円 昨年2月に交通事故で大ケガを負うも、今年のマスターズで電撃復帰。現時点での獲得賞金は約550万円ながら、ブリヂストンなど10数社と結ぶスポンサー契約で総収入は60億円を超える。※週刊ポスト2022年4月29日号
2022.04.20 19:00
週刊ポスト
偉業を達成した佐々木朗希(時事通信フォト)
「佐々木朗希に教えることはない」ダル、田中将大を育てた佐藤義則氏も感嘆
 4月10日、史上最年少で完全試合を達成したロッテ・佐々木朗希(20)。13者連続奪三振の日本新記録、19奪三振の日本タイ記録、自己最速タイの164キロと記録尽くしの偉業に、すでにメジャーからも熱視線が送られる。日本ハムや楽天、ソフトバンクで投手コーチを務め、ダルビッシュ有(35)、田中将大(33)といった一流のメジャーリーガーを育て上げた佐藤義則氏は、“令和の怪物”をどう見たのか。「今後、どれだけすごい投手になっていくのか正直、想像がつかない。間違いなく日本のエースにはなれる投手です。ピッチングフォームを見る限りは、フォームのブレも少ないし、抜けたボールも少ない。プロ入り当初のような線の細さは解消され、下半身もかなりできあがっている。ただ、まだまだ伸びしろがあるという印象ですね。もっと速く腕を振れると思うけど、今はコンスタントに160キロを投げようという投球をしています。今後鍛えれば数キロはあがるでしょう」(佐藤氏、以下同) ロッテの佐々木への育成方針は徹底していた。1年目は1軍に帯同させたものの、吉井理人投手コーチ(当時。現在はピッチングコーディネーター)は体作りに専念させ、2軍での実戦登板すらなかった。2年目の昨年は5月に1軍デビューを果たすも、中10日以上の登板間隔を空け、中6日でマウンドに上がったのは、優勝争いを繰り広げていた最終盤のオリックス戦1試合だけだった。「今の球界では高卒ルーキーはすぐに投げさせず、基礎体力作りに専念させる傾向がある。入団後の体力測定で、プロの環境で投げられるかを判断して、育成メニューが決まる。やはり故障が恐いですからね。佐々木は高校時代も120球ぐらい投げていたわけですから、スタミナがないわけではないでしょう。ただ、高校時代と違ってプロは毎日試合があり、ローテーションを守らなくてはいけない。それに同じ打者と何度も対戦することになる。田中は1年目からフル稼働してもらいましたが、基礎体力が高校生離れしていたということで馬力もスタミナも問題はなかった。チームに先発投手の頭数が足りなかったのもありましたが、佐々木のケースでは高校時代の監督の意見も聞いて大事にしたんじゃないでしょうか」  すでに佐々木には「史上初の2回目の完全試合」や「夢の170キロ」など多くの期待が寄せられている。その重圧は佐々木だけでなく、指導する投手コーチにものしかかるはずだが、佐藤氏は「それはないでしょう」と語る。「むしろ投手コーチは嬉しいと思いますよ。教えなくても勝手に成長するから。いいピッチャーには技術的に教えることはほとんどない。もちろん間違った方向に向かっていると判断したら軌道修正はしますが、コーチはやりたいようにやらせて見守るだけ。1軍に上がれるかどうかの選手には一生懸命指導しますが、佐々木のようなピッチャーはちょっとしたことでよくなるし、体さえしっかり作っていけばいいものがどんどん出せる能力を持っています」 この先、完全試合男はどのような進化を遂げるのだろう。 
2022.04.17 07:00
NEWSポストセブン
田中将大とは「同期入団」だったという(時事通信フォト)
楽天・田中将大 順調な仕上がりのウラで“相棒”広報と突然の別れ
 折り返しを迎えたキャンプで楽天の田中将大(33)が燃えている。「順調な仕上がりで、力強い投球を見せています。4勝9敗と負け越した昨季との最大の違いが、田中がチームの中心にいること。昨季は若手選手が緊張してしまい、距離を感じる場面も目立ちましたが、今年のキャンプでは田中が積極的に話しかけていて距離がぐっと縮まったように見えます。練習に取り組む姿勢を含めてプロ意識の高さは選手たちの良きお手本です」(チーム関係者) チームに溶け込む一方で、田中には長年の“相棒”との別れがあった。前出・チーム関係者が事情を明かす。「田中の15年間のプロ生活を誰よりも近くで支えてくれた球団職員の佐藤芳記氏が昨年末、突然、自主退職したんです。球団内でも理由は分からず触れづらい状況です」 佐藤氏は2007年3月に球団広報として入社し、田中とは「同期入団」として知られる。「田中が公私共々相談する唯一の存在で、メジャー挑戦の際には、佐藤氏も退職して“専属サポート役”としてヤンキースに職員として移籍し、日米報道陣を取り仕切りました。手厳しいことで知られるメジャーのマスコミから田中が愛されたのも佐藤氏の力が大きかったと言われています」(スポーツ紙記者) 佐藤氏は田中が楽天に復帰する際にも相談に乗ったことを明かしている(朝日新聞2021年3月27日付)。当然、田中の復帰とともに佐藤氏も楽天に戻り、『18 Management室 室長』という肩書きで“田中専属広報”として活動していた。 強い絆で結ばれていた2人が、復帰から1年経たずで袂を分かったことに、選手や担当記者から動揺の声が広がっている。「佐藤氏と別れ、一人になったことで選手やスタッフと直接やりとりする機会が増えて、距離が近付いた。そうしたプラス面がある一方で、これまで田中が野球に集中できていたのは佐藤氏がいたからこそというのも事実。田中がマスコミ対応や球団との連携など球場外の対応に時間を割くことが増えることで、投球への影響を心配する声もある」(同前)※週刊ポスト2022年3月4日号
2022.02.18 11:00
週刊ポスト
斎藤佑樹が大学に進学せず高卒でプロ入りの道を選んだらどうなっていたのか?(時事通信フォト)
11年で15勝の斎藤佑樹 高卒でプロ入りしていたらどうなっていたのか
 早稲田大学から2010年のドラフト1位で日本ハムに入団した「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹が、今季限りで引退する。故障に泣いたこともあり、プロ生活11年で15勝しかできなかった(10月16日現在・以下同)。 2006年夏の甲子園決勝で、早稲田実業の斎藤佑樹は駒大苫小牧の田中将大(現・楽天)と投げ合い、決勝再試合の末に優勝投手となった。野球ファンの間で話題になるのは、「もし斎藤が高校卒業直後にプロ入りしていたらどうなっていたのだろうか」という点だ。プロ野球担当記者が話す。「当時から言われていたことですが、大学に進学するのは主にドラフトで指名されない、もしくは下位指名になりそうな選手がほとんど。上位指名が確実視される中、将来的にプロを目指す選手がわざわざ進学するケースはあまりない。高校時代に斎藤佑樹がプロ入りを表明していれば、複数球団が1位指名を検討したのではないでしょうか。 線の細い彼は大学4年間でプロに通用する体づくりをする目的もあって進学したが、結局それを果たせたとは言い難い。大学2年の時に股関節を故障したことも、プロ入り後に活躍できなかった一因でしょう。斎藤以前から甲子園を沸かせた投手の中には、大学でケガに泣いて野球人生の歯車が狂った選手が何人もいました。だから、高校生の時に上位指名される実力があるなら、プロ入りするに越したことはないと思います」(以下同) 1991年、春の仙台育英戦でノーヒット・ノーランを達成し、夏には優勝投手に輝いた大阪桐蔭の和田友貴彦は「神宮で野球をやるのが夢」と先輩も多い東洋大学に進学。2年のリーグ戦で春秋合わせて11勝を挙げる大車輪の活躍を見せた。しかし、その後は故障続きで、プロ入りは叶わなかった。 1994年夏の準優勝投手である樟南(鹿児島商工)の福岡真一郎は九州産業大学1年の4月の福岡教育大戦で、11打者連続奪三振という福岡六大学野球の記録を樹立。この試合は延長12回188球完投勝利と幸先の良いスタートを切ったが、秋に右肩を痛め、思うようなボールが投げられなくなった。2人とも、プロ入りには至らなかった。1年目は活躍できなくても2年目で飛躍する選手は多い「斎藤と同じように、甲子園で大活躍した線の細い投手といえば、桑田真澄(PL学園→巨人→パイレーツ。現・巨人投手チーフコーチ補佐)が思い出されます。当初、早大進学を表明していたが、巨人に1位指名されてプロ入りした。密約説なども疑われましたが、桑田真澄の野球人生を考えた場合、高卒でプロ入りして正解だったでしょう。1年目こそ2勝に終わりましたが、2年目に15勝を挙げて沢村賞と最優秀防御率を獲得。4年目までに44勝をマークしています。少なくとも大学に行っていたら、この分の勝ち星はなかった」 斎藤や桑田と同じ甲子園の優勝投手である松坂大輔は、横浜高校から西武に入団。1年目から3年連続最多勝に輝き、4年で51勝を記録した。高校3年の時に春夏連覇を果たした大阪桐蔭高校の藤浪晋太郎は阪神入団1年目から3年連続2桁勝利、4年で42勝している。甲子園で斎藤と投げ合った田中将大は楽天に入って、4年で46勝を挙げた。「平成で高卒1年目から2桁勝ったのはこの3人だけですから、斎藤が高卒1年目から活躍したかどうかは未知数です。しかし、桑田の例もありますし、ヤクルトの奥川恭伸は1年目こそ1試合のみの登板でしたが、2年目の今年は9勝を挙げている。 他にも涌井秀章(西武)は1勝→12勝、前田健太(広島)は1軍登板なし→9勝、松井裕樹(楽天)は4勝→3勝33セーブ、山本由伸(オリックス)は1勝→4勝32ホールドと、高卒2年目に飛躍した投手はたくさんいます。もし斎藤が高卒からプロ入りしたら、2年目、3年目辺りから活躍したかもしれない……と夢想してしまいますね。 プロと大学では体へのサポート体制も全然違いますし、大学時代の故障も避けられたかもしれない。そんな意味のない妄想をしてしまうほど、斎藤佑樹という投手には魅力がありました」 2006年夏に日本中を沸かせてから15年。10月17日のオリックス戦(札幌ドーム)の引退試合を最後に、1人のスターがマウンドを降りる。
2021.10.17 07:00
NEWSポストセブン
牧 秀悟、松井裕樹
阪神佐藤輝がマー君を打ち砕くか?「黄金ルーキーたちの交流戦」開幕
 5月25日から開幕する交流戦。年に一度のセとパの激突の行方を左右しそうなのが、大豊作のルーキーたちの活躍だ。 ルーキーにとって交流戦は、大きな躍進の場。2005年には初マウンドのダルビッシュ有(34、日本ハム=当時)が広島戦で初勝利を飾り、2013年には大谷翔平(26、日本ハム=当時)が、3試合を投げて1勝0敗、打者としては打率.433と、二刀流を開花させた。 今年の“台風の目”は、やはり「阪神の三羽ガラス」だろう。新人ながら4番に座る佐藤輝明(22)、ショートのレギュラーを勝ち取った中野拓夢(24)、開幕から先発ローテ入りして球団新人37年ぶりの開幕3連勝を挙げた伊藤将司(25)は、首位独走の原動力だ。 特に佐藤は10本塁打、32打点(19日時点)でタイトル争いに食い込み、すでにセ・リーグの顔となっている。怪力・佐藤とパのパワーピッチャーの対戦に心躍るが、中でも注目なのが、オリックスのエース・山本由伸(22)との“同級生対決”だ。「山本はストレート、フォーク、パワーカーブ、カットボールなどすべてのボールが“一級品”で、球界ナンバーワン投手の呼び声が高い。オープン戦では山本が佐藤を完璧に抑えたが、佐藤はリベンジに燃えている。対決の舞台は、高校時代には2人とも縁がなかった甲子園です。オリックスには高卒2年目ながらすでに4勝を挙げ、防御率2.05を誇る宮城大弥(19)もいる。 メジャーから楽天に復帰した田中将大(32)との対戦も興味深い。メジャーでもトップクラスの投手に、佐藤のパワーが通用するかどうか見ものです。一方、中野拓夢は日大山形時代に夏の甲子園準決勝で敗退した前橋育英のエース・高橋光成(24、西武)との再戦を心待ちにしているようです」(スポーツ紙デスク) 広島の元監督でソフトバンクのヘッドコーチなども歴任した達川光男氏が語る。「パの投手は、柳田悠岐(32)のようなパワーヒッターと常に対戦している。柳田にはスライダーなどの変化球は簡単にスタンドに運ばれるため、速いボールとフォークで勝負することが多い。佐藤にも同様の攻め方をしてくるのではないか。佐藤にとって交流戦でパのスラッガーたちを見るだけで勉強になると思う。生きた教科書だと思って試合を楽しんでもらいたい」柳田も吉田も苦戦? 過去15年の通算成績はパの1102勝に対し、セは966勝。これまでセはパに交流戦でカモにされてきた。しかし、今年のセには阪神の三羽ガラスの他にもパを脅かす新人がいる。佐藤の新人王の最大のライバルとされるDeNAの牧秀悟(23)もそのひとりだ。外国人選手不在のチームで開幕からスタメンで出場し続け、打線の中軸を支えている。 投手が豊作なのが広島だ。ドラ1・栗林良吏(24)は守護神に抜擢されると、開幕から連続無失点の新人最長記録を更新し続けている。広島では他にもドラフト2位のセットアッパー・森浦大輔(22)やドラフト3位の大道温貴(22)も結果を残している。前出・達川氏が語る。「初対戦が多い交流戦は投手が有利とされますが、特に栗林を初見で打ち崩すのは難しいのでは。真っすぐは速いし、“超一級品”のフォークもある。どの球種もストライクゾーンに投げ込めるのが強み。柳田や現在打率トップのオリックス・吉田正尚(27)などパの強打者もてこずるでしょう」佐藤との大学エース対決パの新人たちも負けていない。 新人完封一番乗りとなった早川隆久(22)は、田中、涌井秀章(34)、則本昂大(30)、岸孝之(36)など先発陣が充実する楽天でローテーションを任され、切れ味するどいスライダーと抜群のコントロールを武器に勝ちを重ねている。そのほかにもロッテのドラ1左腕で先発ローテの柱として活躍する鈴木昭汰(22)や23イニング連続奪三振の新人タイ記録をマークした日本ハムの伊藤大海(23)、盗塁16個でリーグトップを走る西武のドラフト4位・若林楽人(23)などが存在感を見せている。 東京六大学でしのぎを削った早川(早大)と鈴木(法大)が秋季リーグ以来7か月ぶりに対戦した5月2日の楽天対ロッテ戦は大いに盛り上がった。交流戦では近大出身の阪神・佐藤との対決が楽しみだ。取材・文/鵜飼克郎※週刊ポスト2021年6月4日号
2021.05.24 16:00
週刊ポスト
田中将大、涌井秀章
田中将大が復帰した楽天 「生え抜きvs西武組」の対立に拍車も
 プロ野球2021年シーズンのキャンプで話題をさらっているのが、ニューヨーク・ヤンキースから8年ぶりに楽天に復帰した田中将大(32)だ。「オフに田中の自主トレに参加する松井裕樹、辛島航、釜田佳直など“田中組”の選手が“間近で投球術を見られる”と熱を上げている」(楽天担当記者) ただ、喜んでいる選手ばかりではない。昨年、最多勝を獲得した涌井秀章(34)はその筆頭だ。「キャンプ初日から、投手陣で唯一捕手を座らせて投げ込み、開幕投手へ猛アピール。練習後に田中について聞かれると、“彼に負けないようにやっていければと思っている”と敵愾心をむき出しにしています」(同前) 涌井は過去4度の最多勝を獲得。田中はシーズン24連勝の記録があるが最多勝は2回。だが、推定年俸は田中の9億円に対し、涌井は1億6000万円と大きく水をあけられている。 2人のライバル争いは、チーム内にくすぶる「生え抜きvs西武組」の対立に拍車をかけるという。「昨年までGMとして石井一久監督は涌井、岸孝之、牧田和久、浅村栄斗と西武から主力選手を引き抜く一方で、平石洋介元監督、三木肇前監督と2人連続で更迭したことで生え抜きの選手との間には距離がある。田中は生え抜き組、涌井は西武組の象徴的な存在で、両輪がうまく回らないと、チームがバラバラになる可能性がある」(同前) 野球評論家の江本孟紀氏も懸念を口にする。「田中がローテーションに加わってチームがうまく回ればいいが、逆にダメな場合もある。田中一人こけることでバタバタと倒れていく可能性もある。微妙なライバル関係が生まれてくるとそういうことが起こる。今年は戦力以上にチーム内の人間関係が順位に大きく影響を及ぼすのでは」※週刊ポスト2021年2月19日号
2021.02.08 11:00
週刊ポスト
楽天投手陣の厚みが増す(左から松井裕樹選手、田中将大選手、則本昂大選手。時事通信フォト)
田中将大の復帰の楽天 「マー君塾」「岸派」の2派閥で充実投手陣
 ヤンキースをFAとなった田中将大(32)の楽天復帰が決定した。石井一久監督が用意した背番号は、田中が慣れ親しんだ「18」である。楽天復帰を誰より心待ちにしているのが「マー君塾」の塾生たちだ。 田中は2014年にヤンキースに移籍してからも、毎年1月に宮城の楽天球団施設で自主トレを行なっている。「マー君塾」とは、そこに練習パートナーとして集まる楽天の若手たちのことだ。「筆頭メンバーは、今年先発から2年ぶりに守護神に復帰する予定の松井裕樹(25)。7年連続、皆勤賞で参加していて、その心酔ぶりはハンパじゃない。過去には田中の決め球スプリットの教えを乞い、今年は“高めをもっと使え”という田中の教えを熱心に聞いていたといいます」(楽天担当記者) 他にも則本昂大(30)、辛島航(30)らが『マー君塾』の常連組。「則本は今年は参加していないが、“田中さんの教えを後輩に広めたい”と代わりに20代の若手を集めて自主キャンプを張った。田中との師弟関係は今も揺るがないようです。田中の楽天復帰が決まったいま“田中派”が楽天の最大派閥になるのは間違いない」(同前)「マー君塾」の対抗勢力になりそうなのが、田中よりも年上のベテラン・岸孝之(36)、涌井秀章(34)らの“岸派”だ。「岸、涌井は石井監督がチームメイトだった縁で獲得した“元西武組”。監督の信頼は厚い。ここに涌井の横浜高校の後輩の藤平尚真(22)も合流した。 マー君メジャー行きの後は“直系”の則本がエースとして楽天投手陣を長く支えてきたが、昨季はケガに見舞われた則本に代わって、11勝で最多勝を獲得した涌井、7勝0敗と抜群の安定感を誇った岸が柱となった。この2派閥で激しい先発ローテ争いが展開されるでしょう」(スポーツ紙記者) ズラリ並んだ名前だけでも、楽天投手陣の充実ぶりがうかがえる。ここに田中が加わったいま打倒ソフトバンクの最右翼に躍り出たのは間違いないだろう。※週刊ポスト2021年2月12日号
2021.01.31 16:00
週刊ポスト
古巣・楽天に田中将大が帰ってくる!(2014年のメジャー挑戦時の会見。時事通信フォト)
田中将大が復帰した楽天、松井秀喜を取り戻せなかった巨人の違い
 メジャーリーグの名門ニューヨーク・ヤンキースで7シーズン戦った田中将大が8年ぶりに楽天イーグルスに復帰する。年俸は日本球界最高の9億円(推定)プラス出来高で、2年契約を結んだ。野球担当記者が語る。「田中はワールドシリーズを制覇していなかったし、まだ脂の乗った32歳。試合数の少なかった昨季こそ3勝に終わったが、2年前までは6年連続2桁勝利を挙げている。まさか、本当に日本に帰ってくるとは思いませんでした」(以下同) 田中は2013年、24勝0敗1セーブという文句なしの成績を上げ、星野仙一監督率いる楽天を初の日本一に導き、海を渡った。以降の7年間、チームは一度もリーグ優勝を果たせず、Aクラスも2回のみ。3度も最下位に沈んでいる。今年から指揮を取る石井一久GM兼監督にとって、田中の復帰はこの上ない朗報となっただろう。「楽天は快く田中を送り出しましたし、オフの自主トレ期間中も練習場所を貸し出していた。復帰するかどうか全くの未知数なのに、背番号18をずっと空けて待っていた。両者の良好な関係はメジャー移籍後も続いていました。長年の誠意が、田中に伝わったのだと思います」 日本からメジャーへ移籍した選手は数多いるが、日本球界に復帰する際、必ずしも古巣に帰ってくるわけではない。阪神の藤川球児やヤクルトの青木宣親、巨人の上原浩治などのように元の所属へ戻ってくる選手がいる一方で、新庄剛志(阪神→メッツなど→日本ハム)や福留孝介(中日→カブスなど→阪神)、西岡剛(ロッテ→ツインズ→阪神)、岩隈久志(楽天→マリナーズ→巨人)などのように球団が変わる選手も目立っている。また、松井秀喜のように巨人復帰を望まれながらもアメリカで引退する選手もいる。「田中と違い、松井は2002年に巨人からFA宣言する記者会見で、『何を言っても裏切り者と言われるかもしれないが、いつか松井は行ってよかったと思われるように頑張るしかない』と悲壮感を滲ませていた。当時は巨人戦が毎試合、地上波でナイター中継されており、球界は巨人を中心に回っていた。今と異なり、巨人を出ていくことは相当な勇気が要ったはずです」 野茂英雄が1995年にドジャースで成功してから、日本人選手のメジャー挑戦が本格的に始まった。ただ、打者は2001年にイチローと新庄剛志が初めて契約したばかりで、投手も含めて巨人から飛び出す選手はいなかった。まして川上哲治、長嶋茂雄、王貞治、原辰徳と伝統のある巨人の4番を捨てることは、オールドファンの価値観に背くことでもあったのかもしれない。「球団やファンの中には、内心快く思わない人間もいたでしょう。そんな空気を察したからこそ、松井の口から“裏切り者”という表現が生まれたのではないか。もちろん、松井も巨人からFAした時点で、二度と戻れないと思っていたでしょうし、戻るつもりもなかったはず。FA直後の自主トレはジャイアンツ球場を使用しましたが、翌年以降は都内のグラウンドに場所を変えていました」 松井が去った後の巨人の対応も、楽天が田中に見せたような対応とは異なるものだった。「2008年のドラフト会議で東海大相模高校の大田泰示を1位指名すると、巨人は松井の代名詞である背番号55を与えた。元々、メジャーに骨を埋める気持ちだったとはいえ、これで完全に巨人復帰が消えたのではないか。松井も当然、思うところはあったでしょうし、大田もプレッシャーになってしまった。結局、大田は巨人で結果を残せず、トレード先の日本ハムで開花した。特別な55番を新人に付けさせたことで、ファンの不信感も芽生えたし、巨人にとって何ひとついいことのない出来事だったと言えるでしょう」 2009年、松井はヤンキースの一員としてワールドシリーズに出場し、MVPを獲得。オフには契約満了に伴ってFAとなった。「もしかしたら諸々の条件さえ揃えば、今年の田中と同じように巨人に復帰する可能性があったかもしれない。しかし、松井はまだまだメジャーでの挑戦を続けたかったでしょうし、何よりそれまでの経緯もありますから、松井は古巣のユニフォームに袖を通す気持ちにはなれなかったのではないでしょうか」 引退後のインタビューで、松井は〈可能性はあったよね。でも、あの時はひざが最悪だった。次の年から多少、良くなったんだけど。(東京ドームの)人工芝で守る自信はなかったね。万全なら、守れる状況ならわからなかったけど、その時はヤンキースが再契約しただろうね(笑い)〉(『スポーツ報知』2013年5月5日付)と語っているものの、リップサービスの感は否めない。 松井のメジャー挑戦以降の18年間で、日本球界は変貌した。巨人も時代の流れに沿うように、ポスティングを認めるようになり、2019年オフには山口俊が球団で初めて利用し、ブルージェイズに移籍した。もし2002年の巨人が松井のFAを積極的に容認し、その後も復帰を歓迎する体制を整えていたら、田中のように古巣に舞い戻ってくることもあったかもしれない。
2021.01.29 19:00
NEWSポストセブン
田中将大「日本球界復帰」説が浮上 子供の教育も関係か
田中将大「日本球界復帰」説が浮上 子供の教育も関係か
 野球の本場アメリカのメジャーリーグで、年間最優秀投手を決めるサイ・ヤング賞候補に名を連ねたダルビッシュ有(34才)と前田健太(32才)。受賞すれば日本人初と注目され、惜しくも落選したもののファンは大いに賑わった。「実はシーズン中盤以降、日米球界関係者の間では、ワールドシリーズの行方や賞レースに負けず劣らず、ある日本人投手の去就が熱視線を集めていました」と語るのは在米スカウト関係者。「今シーズンで、ニューヨークヤンキースとの7年164億円の契約が満了した“マー君”こと、田中将大投手(32才)です。昨シーズンまでと同様に獅子奮迅の活躍ならば、すんなりとヤンキース残留となったでしょうが、今シーズンの成績が3勝4敗と振るわず“マー君は来年どのチームへいくんだ!?”と関心の的になっているんです」(同前) 田中獲得のチャンスを窺っているのはメジャーの他球団だけではない。日本球界でも、古巣の楽天や、資金力のある巨人が虎視眈々と狙っているという。「愛妻家のマー君のことですから、妻の里田まいさん(36才)の意見も尊重しているはずです。 里田さんは日本の女性ファッション誌でニューヨーク生活についてのコラムを連載しています。文字通りにセレブ・ニューヨーカーの生活を満喫していて、ニューヨーク愛に溢れている。ニューヨークは全米でも特に治安もいいですからね。できればそのままニューヨークで暮らしたいはずです。 ただ、逆に言えば、ニューヨークに本拠地を置くヤンキースやメッツと契約しなければ、アメリカの他都市に引っ越すことになる。イクメンパパでもあるマー君が家族と離れて暮らすことは考えにくい。“それならば家族みんなで日本に帰ろうか”となるかもしれません」(前出・スカウト関係者) 直近の米大統領選でも露呈したが、アメリカの分断社会は深刻だ。外国人が住みづらい国になっているという報道が多いのも気になるところ。 子供たちの存在も、日本球界復帰を後押しするかもしれない。「お子さんはいま、長男4才と長女1才。小学校に入学するタイミングを考えると、もし“日本で小学校に入れたい”と希望するなら、そろそろ日本に戻るのがちょうどいい。できることなら小学校をいくつも転校させたくないでしょうから、子供の教育も含めて悩むでしょうね」(スポーツ紙記者) 日本に戻ってくるなら、楽天の本拠地がある宮城・仙台が有力だという。「田中の古巣というだけでなく、田中の両親が故郷の兵庫から仙台に引っ越してきていることも大きい。子育てでもいろいろ頼れますからね。楽天球団も熱烈にオファーを出すはずです」(同前) とにかく、日本の球場で、アメリカでさらに磨かれた田中の投球を見たいと切望する日本のファンは多いはずだ。日本球界復帰のビッグニュースが待ち遠しい。 
2020.11.29 16:00
NEWSポストセブン
20連勝を記録した年は35勝6敗
マニア垂涎のレアものも 野球博物館の貴重な展示品の数々
 東京ドームの敷地内にある野球殿堂博物館には、ベースボールの伝来、初の野球チーム誕生、早慶戦開始、甲子園大会開催、プロ野球の誕生を経て現在に至るまでの野球に関連する収蔵品は実物と写真を含め約4万点。ベーブ・ルースから、現役で活躍する選手までのバット、グラブ、スパイク、ユニフォーム、サインボールなどが収蔵庫に収められ、その中から約2000点が展示されている。 常設展示の入れ替えは頻繁に行なわれ、東京五輪やWBC、日本シリーズ、甲子園大会などのイベントに合わせた展示を随時企画。熊本で開催された川上哲治生誕100年といった館外での特別展への収蔵品の貸し出しも行なっている。その貴重な展示品の一部をご紹介する。【1900年頃 明治時代の用具】 日本では1890年代に捕手がミットを使うようになり、1900年代には他の選手も使用した(バット以外は複製)。【1936~1944年 入場券】 戦前の1リーグ時代の入場券。1943年8月28日の鳴海球場での名古屋戦の入場料は1円60銭だった。【1934年 日米野球ポスター】 来日を渋っていたベーブ・ルースが、このポスターを見て快諾したという。【1936年 大阪タイガース来る】 タイガース結成時のポスター。初代の森茂雄監督は戦後早大監督に転じ、多くの選手を育てた。1977年殿堂入り。【1937年 春季MVP表彰状・沢村栄治】 巨人のエース沢村栄治は24勝4敗、勝率0.857、防御率0.81の成績でMVP制定後、初の受賞者となった。【1938年 日本一の本塁打王・中島治康】 巨人の4番として活躍。この年の秋季リーグで打率.361、10本塁打、38打点で日本初の三冠王を獲得した。【1950年 日本シリーズペナント】 セ・リーグ(8球団)とパ・リーグ(7球団)が誕生。2リーグ制が始まり、初の日本シリーズが行なわれた。【沢村栄治の遺族に贈られたバット】 川上哲治の愛用バットに三原脩、千葉茂、多田文久三、内堀保、平山菊二がサインをして遺族に贈った。【1950年 パ・リーグMVPトロフィー】 毎日オリオンズ(現ロッテ)の別当薫は打率.335、43本塁打、105打点の成績でパの初代MVPに輝いた。【1957年 稲尾和久20連勝】 1年目に21勝6敗で新人王に輝き、2年目は7月からの20連勝を含め35勝6敗でMVPとなった。【1971年 高橋善正完全試合ボール】 東映フライヤーズ時代の西鉄戦で、史上12人目の完全試合を達成した時のウイニングボール。【1983年 福本豊のシューズ】 13年連続盗塁王の福本が通算938盗塁でルー・ブロックの大リーグ記録(当時)を破った時のシューズ。【1950年藤本英雄、1994年槙原寛己の完全試合コンビ連名サイン】 プロ野球史上初(藤本英雄)と20世紀最後(槙原寛己)の完全試合達成者の連名色紙と藤本の達成時のグラブ。ともに巨人の背番号17。【2002年松井秀喜、2016年大谷翔平の東京ドーム天井に放ったボール】 天井のすき間に打ち込まれたボール。東京ドームの特別ルールで二塁打となった。後日、回収されたもの。【2006年 WBCリング】 第1回ワールド・ベースボール・クラシックで日本代表が優勝。代表チームに贈られたチャンピオンリング。【2013年 田中将大25連勝ボール】 開幕から無傷の21連勝(前年からの25連勝)の日本記録を達成した試合で田中将大が投じた第1球。【2013年 長嶋茂雄国民栄誉賞関連資料】 国民栄誉賞受賞の記念品(金バット)、当日の始球式で着用したユニフォーム、帽子、サインボール。【2020年 巨人6000勝達成ボール】 6月19日の阪神戦(東京ドーム)でプロ野球史上初となる球団通算6000勝を達成したウイニングボール。撮影■藤岡雅樹 取材・文■鵜飼克郎 写真提供■野球殿堂博物館※週刊ポスト2020年9月11日号
2020.09.04 16:00
週刊ポスト
1980年の巨人投手陣を牽引した江川卓(左)と西本聖の両エース(時事通信フォト)
1980年代の巨人投手陣を牽引した江川卓と西本聖の凄さ
 緊急事態宣言の全国的な解除を受け、2020年のプロ野球の開幕が6月19日に決定した。2020年代のプロ野球の幕開けであり、令和になってから最初の開幕となる。 1950年の2リーグ分裂後、プロ野球界を引っ張ってきたのは読売ジャイアンツだった。年代別の優勝回数を見てみると、1950年代は8回、1960年代は7回、1970年代は6回、セ・リーグを制覇している。1955年から5連覇、1965年から9連覇を成し遂げ、巨人は「球界の盟主」と呼ばれてきた。 1965年にドラフト会議が始まり、各球団の戦力が徐々に均衡。長嶋茂雄が引退し、V9戦士に衰えも見え始めた1975年、巨人は球団初の最下位に転落した。1980年にはミスター・ジャイアンツの長嶋監督が退任し、世界のホームラン王である王貞治も引退。V9のイメージが色濃く残るプレッシャーの中、1980年代のチームを牽引したのは江川卓と西本聖の両投手だった。 1974年オフにドラフト外で松山商業から入団した西本は3年目の1977年に8勝4セーブを挙げ、頭角を現す。翌年オフ、江川卓が『空白の1日』を利用して巨人への入団を試みるが、ドラフト会議で阪神が1位指名。金子鋭コミッショナーの『強い要望』が出され、1979年1月31日に江川は小林繁との交換トレードで、阪神から巨人へ。開幕から約2か月の謹慎を経て6月2日にデビューして9勝を挙げる。 西本はこの年に初めて規定投球回数に達し、リーグ2位の防御率2.76をマーク。3位は2.80の江川だった。野球担当記者が述懐する。「オフに地獄の伊東キャンプが行なわれ、2人とも長嶋監督に鍛えられた。1980年からの8年間、江川と西本が交互に開幕投手を務めており、1980年代の巨人投手陣は2人を軸に回っていた」(以下同) 1980年から6年連続で江川と西本の2人が2ケタ勝利を挙げている(※江川は1987年まで8年連続)。1981年は江川20勝、西本18勝で、チームの73勝の半分以上である38勝を記録。この年、チームの投球回数の4割以上を2人で占め、巨人はV9の1973年以来、8年ぶりの日本一に輝いた。「ドラフト外の西本は、入団当初は同期で1位の定岡正二にライバル心を燃やした。先発の一角に食い込んで定岡を抜いたと認められた頃に、江川が入団した。西本はエリートコースを歩んできた投手に対して、反骨心をむき出しにして、自分を高めていくタイプの投手でした」 西本はシーズンでは江川の勝ち星を上回ることはできなかったが、日本シリーズでは1981年に2勝(2完投1完封)でMVP、1983年も2勝(2完投1完封)で敢闘賞を受賞。江川が開幕投手を務めた年は3位、2位、3位、2位に終わったが、西本が開幕投手を努めた年は優勝、優勝、3位、優勝という結果に。プロ野球ファンの間では、江川は勝負弱く、西本は勝負強いというイメージも出来上がった。 巨人が江川と西本を擁した1980年代、広島は“投手王国”と呼ばれ、北別府学、大野豊、川口和久、山根和夫などの好投手がいた。この10年間で、北別府は137勝を挙げており、両リーグを通じて勝ち星トップ(2位は江川と西本の126勝)。2ケタ勝利の回数は北別府9回、大野、川口5回、山根4回だった。ただし、チーム内の2人で30勝以上を挙げたのは1982年の北別府20勝、津田恒美11勝、1986年の北別府18勝、川口12勝(金石昭人も12勝)の2年に留まっている。「チーム内に確実に勝ち星を計算できる投手が2人以上、長年にわたって存在することはほとんどない。だが、江川と西本は1980年から5年連続で、2人で30勝以上を挙げている。しかも、1980年の西本の14勝を除いて、全て15勝以上。 当時はV9や昭和30年代の野球と比較されて、そこまで評価されなかった印象があります。1988年まで元号は昭和でしたし、まだまだ昔の野球のほうが凄かったという認識があり、先発は毎試合完投、シーズン20勝して初めてエースという風潮もあった。特に江川はアマチュア時代の実績や入団経緯もあったため、400勝投手の金田正一やシーズン42勝の記録を持つ稲尾和久などを引き合いに出され、損をしている面もあると思います」 現役選手で、昨シーズンまで連続2ケタ勝利を挙げているのは千賀滉大(ソフトバンク)の4年が最長。続いて、菅野智之(巨人)と大瀬良大地(広島)の3年になる。一昨年まで6年連続2ケタ勝利の則本昂大(楽天)も、昨年は5勝に留まった。「則本の6年連続のうち、15勝は2回です。現在メジャーで活躍している選手のNPB時代の連続2ケタ勝利を見ると、日本ハムのダルビッシュ有は6年(15勝以上4回)、楽天の田中将大は5年(15勝以上3回)、広島の前田健太は6年(15勝3回)、日本ハムの大谷翔平は3年(15勝1回)、西武の菊池雄星は3年(15勝以上1回)です。大谷と菊池を除いた3人はメジャーでも2ケタ勝っていますし、日本にいれば記録をもっと伸ばしたでしょう。こうして振り返ると、今のメジャー投手と同じくらい、江川と西本は凄かった。その2人が同じチームにいたことが奇跡でした」 エースが2人いたことで、1980年代の巨人は安定した強さを見せた。10年間で優勝4回はリーグ最多。全ての年でAクラスだった。2リーグ分裂後、巨人が1度もBクラスに落ちなかったのは1950年代と1980年代だけ。時代の狭間で、切磋琢磨した江川卓と西本聖はジャイアンツの歴史に名を残した。2020年代、巨人に2人のようなライバル関係で競り合う投手は出てくるか。
2020.05.28 16:00
NEWSポストセブン
巣ごもりGW到来でテレビ番組充実! 注目番組65を一挙紹介
巣ごもりGW到来でテレビ番組充実! 注目番組65を一挙紹介
 外出できない大型連休、”我が家でテレビ漬け”という人は多いだろう。今年は収録自粛やスポーツイベント中止の影響で、各局ともギリギリまで番組編成に慌ただしかった。その結果、今年のGWは名作映画・ドラマが充実している。 テレビ東京では『グラディエーター』(4月30日)、『武士の家計簿』(5月5日)、『殿、利息でござる!』(6日)などが目白押し。NHKのBSプレミアムは『ゴッドファーザー』(4月29日)、『ゴッドファーザーPARTII』(5月6日)などのラインナップだ。 スポーツイベント中止にがっかりしているファンには、過去の“名勝負”の特別番組がある。 5月3日のNHK BS1では、早稲田実業の斎藤佑樹(現・日本ハム)と、駒大苫小牧の田中将大(現・ヤンキース)が延長15回再試合の死闘を演じた2006年夏の甲子園決勝を振り返る。5月9日のBS日テレでは、昨年日本中が歓喜に沸いた『ラグビーワールドカップ2019 日本対ロシア』の再放送を予定。「スポーツ中継がほとんどなくなった中、各局がスポーツファンの喪失感を埋める番組を企画しています」(テレビ誌記者) 旅行を中止した人には、旅情感を味わえる旅番組や教養番組がもってこい。『土曜スペシャル「鉄道沿線ひたすら歩き旅」』(5月2日・テレビ東京)や『アーカイブス秘蔵映像でよみがえるにっぽんの廃線100』(5月4日・NHK総合)、『三宅裕司のふるさと探訪~こだわり田舎自慢~』(5月6日、BS日テレ)などがある。 混迷極める社会情勢が気になる方は、5月4日の放送をチェック。日テレでは『櫻井翔×池上彰 教科書で学べないニッポンの超難問』で新型コロナや五輪延期の問題を深掘り。一方、NHKBS1では、その裏の時間帯で新型コロナ禍の中国を取材した骨太ドキュメンタリーを放送する。 あなたらしい視聴計画を組んでみては?※週刊ポスト2020年5月8・15日号
2020.04.27 07:00
週刊ポスト
堀内恒夫は1966年にプロ入りした(時事通信フォト)
野茂、堀内、松井、大谷ら 新人時代から大活躍した名選手達
 プロ野球界にはルーキーイヤーから大活躍する選手たちがいる。ここでは野茂英雄、堀内恒夫、松井秀喜ら、7人の選手たちのデビュー当時を振り返ってみよう。◆堀内恒夫(1966年プロ入り) 1年目成績 登板試合:33 勝利:16 敗北:2 防御率:1.39 奪三振:117 開幕3戦目に高卒ルーキーとして初先発。これを初勝利で飾ると7月までに13連勝し、1年目は16勝2敗で終えた。最優秀防御率と最高勝率に輝き、新人王と沢村賞にも選ばれた。44イニング連続無失点は今も塗り替えられていない新人記録となっている。2年目以降もコンスタントに勝ち星を挙げ、巨人V9のエースとして活躍。13年連続2ケタ勝利をマークした。 ふてぶてしいまでのマウンド度胸からついた異名は“甲斐の小天狗”“悪太郎”。入団に際しての取材では、時間や場所を変えて1社ずつ同じような質問をされるのが面倒臭くなり、「誰かが代表して聞いてくれませんか」と言い放った。門限破りの常連で、鬼軍曹と呼ばれた武宮敏明寮長から叱られた時に「憲法で決まっているわけではない」と反論した逸話もある。◆松井秀喜(1993年プロ入り) 1年目成績 出場試合:57 安打:41 打率.223 本塁打:11 打点:27 12年ぶりに長嶋茂雄監督が巨人へ復帰したシーズンに華を添えたのが、甲子園での5打席連続敬遠が社会現象になったゴールデンルーキー・松井秀喜だった。4球団競合による抽選で引き当てた松井の背番号55は、王貞治の最多本塁打記録(当時)にちなんだ数字。長嶋監督の松井へのホームランバッターとしての期待の大きさがうかがえる。 キャンプでは場外弾を連発したが、オープン戦では不調(打率.094、20三振)だったため開幕は二軍で迎えた。5月に7番レフトで一軍デビューを果たし、2試合目に高津臣吾から初本塁打を放っている。 6月には二軍に降格したが、フレッシュオールスターでMVPを獲得し、8月に一軍へ再昇格するとヒットを連発し、3番に定着。ルーキーイヤーは11本塁打を放ち、セ・リーグ高卒ルーキーの本塁打記録を更新し、翌年からレギュラーに定着した。◆大谷翔平(2013年プロ入り) 1年目成績【投手】登板試合:13 勝利:3 敗北:0 防御率:4.23 奪三振:46【打者】出場試合:77 安打:45 打率:.238 本塁打:3 打点:20 花巻東高時代、地方大会でアマ野球史上最速の160キロを記録し、日米から注目された。大谷はメジャー挑戦を表明したが、日本ハムが投手と野手の二刀流育成プランを提示し、ドラフト1位で獲得。46年ぶりに高卒新人でプロ初勝利と初本塁打を記録した。◆野茂英雄(1990年プロ入り) 1年目成績 登板試合:29 勝利:18 敗北:8 防御率:2.91 奪三振:287 史上初の8球団競合の末、近鉄に入団。プロ初勝利を17奪三振の日本タイ記録(当時)で飾ると、5試合連続2ケタ奪三振を記録。ルーキーイヤーは最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手4冠のほか、新人王、ベストナイン、MVP、沢村賞を受賞。◆田中将大(2007年プロ入り) 1年目成績 登板試合:28 勝利:11 敗北:7 防御率3.82 奪三振:196 夏の甲子園決勝で早実高の斎藤佑樹(現日本ハム)と投げ合い、ドラフトでは4球団が競合、楽天に入団。高卒1年目では歴代4位の196奪三振でシーズンを終え、186イニング1/3を投げて11勝。1999年の松坂大輔以来、8年ぶりに高卒1年目の新人王が誕生した。◆上原浩治(1999年プロ入り) 1年目成績 登板試合:25 勝利:20 敗北:4 防御率:2.09 奪三振:179 ドラフトでは松坂と話題を二分。巨人が逆指名を勝ち取った。初登板は黒星だったが、歴代4位タイの15連勝を記録し、33年ぶりに堀内が持つ新人連勝記録(13連勝)を更新。木田勇以来となるルーキー20勝をマークし、新人王と沢村賞をダブル受賞した。◆立浪和義(1988年プロ入り) 1年目成績 出場試合:110 安打:75 打率.223 本塁打:4 打点:18 PL学園の主将として甲子園で春夏連覇(1987年)を達成し、ドラフトでは南海と競合した中日が獲得。開幕で一軍メンバーに名を連ねると、2番ショートで先発出場。新人王に選ばれ、高卒ルーキーとしては史上初となるゴールデングラブ賞を受賞した。※週刊ポスト2020年4月10日号
2020.04.01 07:00
週刊ポスト
プロ野球指導者たちに多くの教えを遺した野村克也氏
「ノムさんと飲みながら野球談義」 佐藤義則氏が思い出語る
 84歳で亡くなった故・野村克也氏は、プロ野球指導者たちに多くの教えを遺した。投手コーチとして阪神や楽天などで野村監督を支えた佐藤義則氏も薫陶を受けた一人だ。佐藤氏が思い出を振り返る。 * * * 野村さんといえば、阪神の秋季キャンプで1か月だけ一緒に指導させてもらったことと、楽天監督時代に私をコーチとして呼んでくれたことが良き思い出ですね。 野村さんは「アイディアを持っているのが良いコーチ」という考えを持っていました。阪神のとき、1年目の藤田太陽のコントロールをなんとか矯正しようと、片足で投げるなどの色んな投げ方でストライクを取る練習をしているのを面白がって見てくれていましたね。〈2001年10月、佐藤氏は野村監督の要望で阪神の投手コーチに就任。しかし野村氏は直後、沙知代夫人の脱税が発覚し12月に監督辞任。阪神に残った佐藤氏は井川慶らを育て、2003年に星野仙一監督の下で阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導く。〉 奥さんの脱税事件で野村さんは阪神を辞めることになり、結局阪神では一緒にシーズンを戦うことができなかったんだけど、在任中は私と木戸(克彦)と3人でいつも晩飯を一緒に食べながら野球の話をしてくれました。葛西(稔)も交えて4人のときもあったかな。自分がテスト生で入ったときの話や南海時代の話、いつも難波で飲んでいた話、キャッチャーの配球面のこととか、飲みながら色々と教えてもらって、本当に楽しかったですよ。 ただ話が長くなることが多くて、監督から逃げるにはどうしたらいいかって木戸と相談した。それであるとき監督を交えて、木戸とジョッキで焼酎をガンガン飲み始めたら、「おまえらとはつきあえない、帰る」って、すぐに切り上げたことがあった。木戸と顔を見合わせて「これだ!」って言い合ったっけ。〈2005年、佐藤氏は日本ハムの投手コーチとしてダルビッシュ有を育て、日本一になる。2009年、再び野村監督に呼ばれ楽天投手コーチとして田中将大らを育成する。その後、田中はシーズン24勝0敗の記録を作り、楽天の日本一の原動力となった。〉 野村さんが楽天の監督になってまた俺を呼んでくれたんです。秋のキャンプのミーティングで「今年のドラフトの成功は、佐藤が来てくれたことだ」と皆の前で言ってくれたのが、すごく嬉しくてね。1年間野村さんの下でしっかり野球を教わることができました。 当時、誰もが楽天が優勝できるとは思ってなかったと思います。でも私は就任1年目から優勝できると思っていました。現に1年目でCSに出ましたしね。CS最終ステージでの日本ハム戦第一戦(2009年10月21日)で、ベンチワークのミスが原因で負けたけど(球界では「福盛の21球」と呼ばれる)、こっちは田中(将大)と岩隈(久志)が残っていたし、日本ハムはダルビッシュ(有)が投げられないから、この試合にさえ勝てば絶対イケると思っていました。最後はスレッジに満塁弾を打たれてサヨナラ負け。この試合を勝たせてやれなかったことで最終ステージを敗退し、結局野村さんが辞めることになりました。そういう苦い思い出もありますね。 とにかく野村さんにも、星野さんにも「コイツは良いコーチだ」って世の中に言ってもらい、私もすごく嬉しかった。特に野村さんがそう思ってくれたのは、本当にありがたいなと感じながらコーチ業に励んでいましたよ。◆取材・文/松永多佳倫
2020.03.06 07:00
NEWSポストセブン
出会った頃、沙知代婦人は会社経営者。互いに別に家庭を持つ”禁断の恋”の始まりだった
野村克也さん、妻・沙知代さんにゾッコンだったあの時代
 プロ野球の南海やヤクルトなどの監督を歴任した野村克也さんが2月11日、虚血性心不全で亡くなった。84才だった。 野村さんは昭和10年、日本海に面した京都府竹野郡網野町(現京丹後市)で生まれた。父親を早くに亡くし、看護師の母の女手一つで育てられた。母親は病弱で、野村少年は小学生の時から新聞配達などで、一家の家計を支えていた。 野球を始めたのは中学2年生の時だ。すぐにキャッチャーとして頭角を現し、京都ではその名を知られるように。一度は断念した高校進学も、大学進学を取りやめた兄の援助もあって実現する。そこでも野球部に入るが、所詮は弱小チーム。しかし、裕福な暮らしに憧れていた野村さんはプロになりたくて、19才になる年に、南海ホークスにテスト入団する。契約金はゼロ円だった。 1年目の終わりに戦力外通告を受けるものの、交渉で粘って残留。どうにかプロにしがみつき、3年目に努力を実らせ、正捕手の座をつかみ取った。以降、本塁打王や戦後初の三冠王を獲得し、パ・リーグの顔ともいえる存在に。 しかし、当時は巨人・大鵬・卵焼きの時代。人気はセ・リーグ、それも巨人の長嶋茂雄や王貞治にかなわなかった。野村さんが、長嶋や王を「ひまわり」に、そして自らをひっそりと花開く「月見草」にたとえたのはこの頃だった。 野球ファン以外への知名度は、監督になってからの方が上がったかもしれない。流行語にもなったID野球でヤクルトの監督として日本一を叶え、阪神時代は戦力をそろえ、楽天ではメジャーリーガーとなった田中将大投手を育てた。データに基づく采配と、独特のボヤキ節のアンバランスが、野村さんらしさでもあった。 そうした野球漬けの人生を支えたのが、2017年に亡くなった沙知代夫人(享年85)だった。「自分は田舎者。世渡りもできない。彼女は、女社長で海外のことも詳しい。スタイルがよくてきれいで、内面も太陽のように明るくサバサバしていた。本当にすごくよく見えたんだな(笑い)」 とは、当時を振り返っての野村さん本人の言葉だ。日が落ちてから咲く月見草は、見たことのない太陽の魅力にあらがえなかった。 すでに2児の母だった沙知代夫人と結婚したのは1978年。ダブル不倫の末の再婚だった。沙知代夫人は結婚前から南海のチーム運営に口を出すなど、トラブルのもとにも。関係者から「野球を選ぶのか、女を選ぶのか」と迫られた野村さんが「女を選ぶ」と答えたエピソードはあまりにも有名だ。 野村さんはこの件で、選手と兼任していた南海監督の座を追われている。◆来世も結婚するでしょう その後も沙知代夫人は野村さんをさまざまな騒動に巻き込んだ。経歴詐称問題、浅香光代さんとのミッチー・サッチー騒動、巨額の所得隠しによる有罪判決…。 その過程で嘘も暴かれた。福島出身のはずが東京出身でコロンビア大学卒という虚偽の経歴には、野村さんも騙されていた。それでも野村さんは、沙知代夫人が亡くなるまで、いや、亡くなってもなお、守り続けた。ある雑誌のインタビューだ。《次々と真実が明るみに出て、そのたびに唖然としましたよ。でも、なぜ嘘をついたのかと咎めることはしなかった。身の上を偽ってまで私といたかったのかと思うと、かえって愛おしくなりました》(婦人公論2019年8月号) この記事で、来世も沙知代夫人と結婚するかとの問いにも答えている。《来世もめぐり合って結婚するでしょう。あんな猛獣とうまくやっていけるのは自分だけだという自負もある。彼女は「冗談じゃないわよ」と言うかもしれないけど(笑)》(同前)※女性セブン2020年2月27日号
2020.02.13 16:00
女性セブン

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