落語の世界では、よっぽどのことがない限り弟子は師匠の前で師匠の十八番をやらないものだ。恐れ多いし、談志と談春がそうだったように双方の感情の間に亀裂が生じかねないからだ。
だが、談春はそれも承知の上で、あえて『芝浜』を選んだのだ。談春はこう覚悟を口にする。
「『芝浜』だけはコピーじゃダメ。蛇足だろうと、冒涜だろうと、現代にも通じる本当のことを何か入れないと。まあ、陳腐な表現だけど、談志の遺伝子は談春、志らくに限らず、うちの一門の人間には伝わっている。だから、完成している噺をこねくり回す。『芝浜』は一年間、どうやって生きてきたかの証ですから。芸人として」
落語ファンの中には、あまり形を変えないでほしいという人も根強く存在する。だが、そんなファンを談春はこう言って一蹴した。
「よそへ行って聴けって」
談春は年末の恒例となっているフェスティバルホール(大阪)の独演会において、2022年、大なたを振るった。「談春、芝浜を変えます。これからの『芝浜』」と銘打ち、『芝浜』の大刷新を試みたのだ。
「最後のシーンを変えたほうがいいと思ったのは30年近く前。でも、そこから変えるのに30年弱かかった。そういうのが嫌だっていうファンがいるのもわかってるけど、それと戦ってきたのがうちの師匠なのよ。いつかあの世で談志に会ったら、師匠、俺たちのやってたことってそれほど間違ってなかったでしょ、って聞いてみるよ。どうだよ。いいまとめじゃねえか」
談志は死んだ。でも、談志の『芝浜』は死なない。
【プロフィール】
中村計(なかむら・けい)/1973年、千葉県生まれ。ノンフィクションライター。著書に『甲子園が割れた日』『勝ち過ぎた監督』など。近年はお笑い関連の取材・執筆を多く手がける。趣味は落語鑑賞。近著に『笑い神 M-1、その純情と狂気』。
(了。前編から読む)
※週刊ポスト2024年1月1・5日号