しかし、四十代より下の世代の声に耳を傾けていると、「俺」は少数派のようなのだ。少なくとも東京近郊においては。とある四十代の男性は、生まれてこのかた一度も使ったことがないという。「イキっている感じがいや」だそう。彼の心根にはナナハンなど影も形もないだろう。俺呼びは年齢が下に行けば行くほど少数派になっていく。声を拾ってみると、「あまりにもひどい対応をされ、クレームをつける時に仕方なく使った」「わざわざ使う場面がない」などの答えだった。なるほど、わざわざ使う言葉なのか。
米津玄師、星野源、ミセス…歌詞には「僕」「君」ばかり
ここ数年の流行りの歌の歌詞をいくつか読んでみたが、米津玄師や星野源、Mrs. GREEN APPLE、サカナクション、ほとんどが「僕」「君」である。時々、「私」「あなた」も見掛けるが、確認した限り「俺」「お前」はない。彼らよりは若干、心根にナナハンの可能性がありそうなKing Gnuも「僕」「君」「あなた」ばかりであった。
その一方で「俺」「お前」でないと世界観が成り立たないのがヒップホップである。世間に唾を吐き、仲間を守り、女を守るその世界観は、まさしくかつてのつっぱりであり暴走族だ。彼らの心根にはナナハンに相当するものかそれ以上のものが常に置かれているに違いない。「俺」に対抗して「僕」でMCバトルに挑んだらおもしろいかもしれないが、本流ではないだろう。
ちなみに、「俺」を辞書で引くと、『岩波国語辞典』(2019第八版)では「男が自分を指す語。「ぼく」より強さや荒々しさがあり、「わたし」よりくだけた言い方」、『三省堂国語辞典』(2017第七版)では「男が同輩・目下の者(や身内)に対して使うくだけた自称」とある。
昔は曖昧だった「俺」と「僕」の境目がはっきりしたのが令和なのだと思う。別の見方をすれば、「俺」が醸し出す、「イキった」感&「オラオラ」感はそういう感じを好む一部の人だけのものになりつつあり、男子たるものの通過点ではなくなってきているのだ。
そして、「あたい」である。今ではほとんど聞かれることのなくなった女性の一人称だ。三省堂の辞書によれば、かつて東京下町や花柳界の女性が使っていたそうだが、はすっぱな女性の自称という印象が強い。朝ドラ『ブギウギ』では、福来スズ子に怒鳴り込んできたラクチョウのおミネが「あたいたちをなめるんじゃないよ」と啖呵を切っていた。おミネは有楽町のぱんぱんガールの親玉。「あたい」のイメージはまさしくこれだ。