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2011.10.15 16:00  週刊ポスト

三遊亭圓丈は新作落語に新たな地平を切り開いた新作の革命児

 広瀬和生氏は1960年生まれ、東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。30年来の落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に接する。その広瀬氏が「新作の革命児」と評するのが、三遊亭圓丈だ。

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 昨年、三遊亭鳳楽に「七代目三遊亭圓生」襲名を賭けての落語対決を挑んで話題となった三遊亭圓丈。彼は新作落語に新たな地平を切り開いた「新作の革命児」である。1944年生まれ、名古屋出身。

 1964年に六代目三遊亭圓生に入門して三遊亭ぬう生、1978年に真打昇進して圓丈。同年、圓生が落語協会を脱退して落語三遊協会を立ち上げると彼も師と行動を共にしたが、79年に圓生が亡くなったため、1980年に落語協会に復帰している。

 この、圓生没から数年間の圓丈の活躍は目覚ましかった。もともと新作を志して噺家になった圓丈は、協会復帰と前後して、それまでとはケタ違いのペースで傑作を量産するようになり、古典を封印して「新作の教祖」となっていく。

 圓丈が革命的だったのは、新作落語を積極的な自己表現の手段として捉えていたことだ。 当時の「新作は邪道だ」という風潮に対抗して「もう古典は通用しない!」と過激に主張する圓丈は、それまでの生ぬるい新作落語のあり方を真っ向から否定した。

 圓丈の新作落語は、設定だけ現代に焼き直してウケを取ろうとする消極的な「古典の代替品」ではなく、「従来の落語とはまったく違う独自の世界観を表現する作品」であり、それは小説家が小説を書くのと等価な表現手段だった。

 現在、古典と新作は対立するものではなく、互いに補い合う「両輪」として落語の世界を支えている。面白ければ古典だろうと新作だろうと構わない。それが今の落語ファンの考え方だ。そして本来、落語とはそういうものだったのだ。

 マスコミで売れたのは1980年代初頭の数年間だけだが、圓丈が落語史で果たした役割は極めて大きい。七代目圓生を継がなくとも、「新作の教祖」三遊亭圓丈の名は、落語史に燦然と輝き続けるだろう。

※週刊ポスト2011年10月21日号

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