草森紳一さん。知の巨人といわれ、積み上げた本に〈穴〉の中で永遠の眠りについた男。希代の読書家を、作家の山藤章一郎氏が追った。
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「アワワッ」鳴らしつづけた電話がやっとつながる。と、耳にその悲鳴、ついで、「イテッ」とか、「ドサッ」。本の崩れる音が続く。たまに、ではない、しょっちゅう。文藝春秋社の編集者・細井秀雄さんは、だから慌てない。
江東区永代、隅田川沿いのマンション7階2DK。廊下、部屋の天井まで本が詰まり、宿主も、たまの訪問者も、昔は、顔、体をカニにしてそろりと横向けに行った。
いまは横向けどころか、坐る空間もない。訪問者もいなくなった。宿主・草森紳一さんは、体を、くの字にして寝る。部屋に、川の風景も陽の光も入らない。
電話が鳴っている。ジュワキ、ジュワキ。手を伸ばす。届かない。エエイ、メンドクセーナ。
だが、鳴りつづける。ヨッコラショ。本を踏み、崩れてこぬよう山を押える。やっとの思いで、受話器を取る。瞬間、ドサッと山は崩落する。「アワワッ」
ある日も、細井さんは気長に鳴らしつづけた。ところが、出ない。
ひょっとして「ナクナッタ?」慌てないけどイヤな予感がした。通い慣れた部屋、いつも鍵はかかってない。電気をつけた。だが、本の壁で視界が利かない。遭難救助の思いで、必死で本を掻き分けて呼びかける。
だが応答なし。無謀に進めば、二次サイガイの恐れあり。「よし、テッシュウ。明朝 サイソウサク」
電話で、編集者仲間の藝術新聞社長・相澤さんと、同社の根本さんに託した。翌朝の捜索隊ふたりは、大型懐中電灯を携え本の山に這い登った。
3万冊を越す高嶺である。このすべてが2DKの中に聳えている。
あとで、整理のボランティアが数えた。段ボール731箱。3万1618冊。毎日1冊読んで87年8か月かかる峻嶮の山である。ほかにまだ。北海道の郷里に3万冊。合わせれば、175年分。
「どこだ、どこだ。捜しても捜しても発見できない。諦めかけました。しかし、もいっかいと、奥に進んだ。あれ? あれは人のかたちじゃないか。すきまから懐中電灯で照らした先に、半畳ほどの空間があったんです。われわれはその外側に積み上がった山に、慎重に登って、こう、上からですね、ああそうそう、見下ろす感じで〈穴〉を照らしたんです」
相澤さん、根本さん、決死の救出行である。
「オレは全裸で寝るとよくいってた通りの恰好でスッパダカ。顔は苦しみもなく安らかでした。好きな本に埋もれた幸せな死ですね」。独身。毎日外食。享年70。本以外の世事に関心はなかった。
※週刊ポスト2012年4月13日号