ゴルフ界には歴史に残る数々の死闘がある。自由報道協会代表の上杉隆氏が挙げるのは1984年の全英オープン。27歳のセべ・バレステロスが34歳のトム・ワトソンを下したセント・アンドリュース、上杉氏が振り返る。
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セベが18番ホールのグリーン上でセント・アンドリュースの空に何度も何度もこぶしを突き上げるシーンは、今でも鮮明に私の脳裏に焼きついています。当時、高校生だった私は林間学校に来ていましたが、引率の先生たちに頼み込んで、教師用の部屋でテレビを見ました。
とにかく私にとってセベは憧れの的でした。定期入れにはアイドルのものではなく、セベの写真を入れていたくらい。だからか、同級生たちからは普通の男子学生とは違った恋愛趣味を持っていると見られていたものです(笑い)。
セベの魅力は超攻撃的なスタイルです。「曲げないゴルフ」ではなく、「曲げてもかまわないゴルフ」。他の選手なら諦めるような林の中からでもグリーンを狙い、バーディを奪っていく。様々な打ち方を駆使し、届く距離であればどこからでもピンを狙う「ピンデッド・ゴルフ」そのものでした。
セベの切れ味鋭いアイアンショットと魔法のような数々のリカバリーショットはギャラリーを惹きつけるのに十分でした。この試合でも、セベはセント・アンドリュースのバンカーを怖がることなく果敢に攻め、当時“新帝王”と呼ばれていたワトソンの猛追を振り切って2回目の全英オープンを制しました。
1979年のロイヤルリザム&セントアンズでの全英オープンも象徴的でした。最終日の16番ホール、他のプロがティショットをアイアンで刻む場面で、ドライバーを手にしたセベはティショットを大きく右へ曲げて駐車場に。グリーンも見えず、芝もない土の上という絶体絶命の状態から、セベはミラクルショットでピンそば4メートルにつけた。そして、バーディを奪いメジャー初優勝を飾りました。
1979年と1984年の全英での勝利は、ヨーロピアンゴルフ台頭のきっかけとなりました。A・パーマー、J・ニクラウス、T・ワトソンと、全盛を誇ってきたアメリカンゴルフは勢いを失い、10年後にT ・ウッズが登場するまでは欧州勢が世界のトップを争う時代が続いたのです。
●上杉 隆(自由報道協会代表)
うえすぎ・たかし/1968年生まれ。中学時代からゴルフを始め、関東ジュニア出場の経験を持ち、ゴルフジャーナリストとしても活動中。著書に『放課後ゴルフ倶楽部』。
※週刊ポスト2012年10月12日号