今でしょ!の林修先生「作家の死んだ年齢を意識して生きている」
「いつやるか? 今でしょ!」でお馴染みの東進ハイスクール現代文講師、林修氏。トヨタのCMへの出演をきっかけに、金スマ(TBS)にも出演するなどメディアでも話題を集める氏は、野球(特にMLB)、シャンパン、ジョギング、ロングブレス、お笑いと、幅広い趣味を持つ雑学王でもある。そんな林氏に、専門である「文学」について語ってもらった。カリスマ現代文教師を形作った文学体験とは?
* * *
――先生はどんな本を読まれてきたんですか?
林:僕の文学はもう、ある時点で止まっちゃってるんですよ。夏目漱石、芥川龍之介、志賀直哉、川端康成、三島由紀夫あたりの近代文学までですね。現代の作家さんにも素晴らしい方はたくさんいらっしゃると思うんですけど、僕の場合は、手に取って、1ページ勝負なんです。そこでガツンと来ない本は全部返しちゃうんです。
――ガツンと来るのが近代文学までだったと。
林:ストーリーだけじゃないんですね。僕にとっては、文章そのものが同じくらい大切なんです。『伊豆の踊子』なんて、最初の1行目からガツンガツン来るじゃないですか。三島の『青の時代』の前書きなんて、とんでもない“力み”が感じられて微笑ましいし。言葉の緊張感のレベルが違うんです。でも、そういう緊張感は、今では「重い」と感じられかねないのかもしれません。それで、僕には最近の「文学」がどうも物足りない。要するに、ちょっと時代遅れなんです(笑)。
僕は、好きになるととことんで、何十回と読みますから、この辺りの近代文学は、すべて頭に入っています。まぁ、これは小説に限ったことではなくて、「ハウルの動く城」なんて、一時、音声を消して見ていました。全部覚えちゃってるんで、アテレコしながら。
――近代文学のなかでも、特に好きな作家はいますか?
林:授業でも年に1回くらい話すんですけど、自殺した東大に絡む作家の系譜に惹かれます。明治時代の有名な自殺に、藤村操の入水自殺がありますよね。一高の生徒で、遺書を残して華厳の滝に身を投げた。彼は、自殺の少し前に、当時、英語講師だった夏目金之助(後の漱石)に、予習をしてこなかったことで厳しく叱責されたんですよ。そして漱石は、彼の自殺を、自分のせいではないかと思っていたようなんです。そんな漱石は一生懸命生きる人で、決して自殺しない人だった。その漱石が激賞した芥川は35歳で自殺した。
――三島も川端も自殺した作家です。
林:芥川の自殺に際して、三島が書いた文章があるんです。「武士の自殺自決はみとめるが、文学者の自殺はみとめない」というような文章。でも、その三島も結局は自殺しましたよね。ノーベル賞が欲しくて欲しくてしようがなかったのに、手に入らず、しかも自分が推薦文を書いた川端がノーベル賞を受賞した。その川端もまた自殺しています。その原因に、ノーベル賞受賞があったとも言われています。こういった、ある水準を超えた知性の、自殺をめぐる連鎖に何となく惹かれるんですよ。
また僕は、作家たちの亡くなった年齢を意識しながら生きてきました。24歳になったとき、樋口一葉に並んだな、というある種の感慨を抱きました。35歳になったときには、芥川に並んだなと。45歳の三島を過ぎて、今は漱石(49歳で死去)に向かっている。もっとも、まだその先には鴎外(60歳)、川端(72歳)、谷崎潤一郎(79歳)、志賀直哉(88歳)といますけど。
――自殺する人としない人の違いは何でしょう。
林:いろいろ理屈はつけられるんでしょうけど、結局は、向こうに行った人しかわからない。僕は自殺する人間じゃないから、わからない。そういう点で、自分に近いのは漱石だと思っています。こんなこと言ったら怒られるかもしれませんね。ごめんなさい。
――漱石もお好きですか?
林:大好きですね。しかも年々好きになる。昨日も『虞美人草』を引っぱり出して読んでいました。ただ『こころ』はだめですね。何回読んでも、なぜ先生が自殺するのか、僕には全くわからない。作中で先生も「どうして私が死のうとするのか、あなた(注:主人公)にはわからないと思います」と言っていますが、ホント、わかんないよと。漱石みたいに、自殺の対極にいる人が自殺する人間を書くとこうなるのかなあと、僕は思っています。
――漱石のなかでお勧めはありますか?
林:人に本を勧めるのは基本的には嫌いなんです。でも、漱石の作品のなかであえて言うならば、ダントツで『吾輩は猫である』ですね。さすがに『猫』は読んでほしい、と思います。漱石に限らず、時代を乗り越えてきた古典には、やっぱり底知れぬパワーがある。若い人にも、ぜひそういうものに触れてほしい。じゃあいつ読むかって? もちろん、今でしょ!