盛り上がりを見せるWBC。華やかな舞台の裏にある物語。ノンフィクションライターの神田憲行氏がレポートする。
* * *
「いいか、いいもの見せてやるよ」
ニヤッと笑いながらそういうと、監督はミニバスを止めてドアを開けた。
「よし、ピッチャーはここから降りて学校までランニングで帰れ!」
7、8人の投手が降りるのを確認すると、彼はドアを閉めてまたミニバスのハンドルを握った。バスはそのまま学校に帰ると見せかけて、ぐるっと大回りして降ろした選手の後をつける。監督たちが先に行ったと思い込んでいたのだろう、サボッて歩いている選手たちがいた。
「こら!走れ!」
驚いて焦る顔を見て、バス内に残った私や野手の他の選手たちは笑い転げた。
「ああ、やっぱりあいつは走っているな」
監督の視線の先には、田んぼの脇の舗装された道路を汗を飛ばしながらランニングする長身の選手と、それに引っ張られるように二人の選手が黙々と学校に向かって駆ける姿があった。それが監督に私に見せたかった「いいもの」だった。
「カルデーラは練習をサボらない。あいつが来てくれて、背中でみんなを引っ張ってくれた」
それが私とチアゴ・カルデーラとの出会いだった。当時は山形県の羽黒高校の2年生で、翌年、山形県代表として初めて夏の甲子園に出場し救援投手としてマウンドを踏んだ。そして現在、WBCブラジル代表投手コーチを務めている。
日本代表との初戦、マウンドに何回もいく青いジャンパーのカルデーラの姿をスタンドで追いながら、私は彼の故郷を思い出していた。
バストスという人口3万人弱の小さな街である。なぜブラジル人が野球をするのか知りたくて、私は太平洋を渡りアメリカでトランジットしてブラジルに着き、バストスまで車に揺られた。カルデーラのお父さんは大柄でペットショップを経営する人の良さそうな人物だった。お母さんは小柄で、私に家の中を案内しながら、
「どこをどんなふうに使ってもいいのよ。自宅だと思って」
と言ってくれた。
カルデーラ家はイタリア移民である。よけい、なぜサッカーでなく野球なのか。カルデーラのお父さんは、
「昔会社で働いていたとき、日系人の同僚がみんな真面目で親切な人たちばっかりだったんだよ。それで息子もあんなふうな人間になってくれたらと思い、日系人がやっている野球のチームに入れたんだ。私は野球のルールはなにもわからないけれどね」
カルデーラのお父さんはそう言って笑った。日系人を見習うために野球を始め、そこで教わった野球の姿勢で日本の高校生たちを引っ張り、今度は日本代表の前に立ちはだかる。カルデーラの人生は、日本とブラジルの関係を結ぶ野球の在り方を体現しているようだ。
結局ブラジル代表は3連敗した。中国戦のあと、カルデーラは、
「がっかりです。みんな泣いていますよ」
と落胆を隠さなかった。
地球の裏側から日本に野球をしにきたブラジル代表の今回の冒険はここで終わった。だがまだ続きがある。所属球団の事情で今回来日出来なかったが、ブラジルには大リーグと契約した155キロの16歳左腕ゴウハラがいる。中国戦でストレート一本槍で投げきったミサキも16歳だ。さらにブラジルアカデミーには13歳の選手もいる。
「また、また日本に来ます」
汗を飛ばしながら、カルデーラが走って行く。