【著者に訊け】伊東潤氏・著/『巨鯨の海』/光文社/1680円
〈鮪船などの漁船に慣れている鯨は、船が近づいても襲われないと高をくくり、網をかぶっても最初の銛が打ち込まれるまで、生命が危機に瀕しているなど思いもしない〉
〈賢くとも、それが言葉によって経験を語り継げない鯨の弱みである〉
……思えば、自他の異同を見極め、経験や歴史を語り継ぐことで、ヒトは食うか食われるかの生存競争を生き延びてきたといえる。先頃『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞を受賞し、本格歴史小説の旗手として注目を集める伊東潤氏(53)の最新連作集『巨鯨の海』でも、海の男たちが世代を跨いで洗練を重ねてきた〈古式捕鯨〉の戦略が、各話に通底する陰の主役だ。
が、沖合衆だけで300人がかりの命のやりとりがそう甘いものであるはずはなく、沖では〈黒瀬川〉と呼ばれる黒潮が今にも彼らを呑みこもうとしていた。まさに〈和を乱せば、死。獲物を侮れば、死〉。それでも生きるために鯨影を追った人間たちの、これは組織と〈掟〉をめぐる物語である。
舞台は〈鯨組〉が隆盛を極めた江戸中期から、明治初頭にかけての紀伊半島・太地。今では職業捕鯨自体失われしものだが、職業や産業がそのまま「生きること」たりえた時代の空気は、仕事が仕事でしかなくなりつつある今、私たちに多くのことを教えてくれる。伊東氏はこう語る。
「合戦の躍動感や肉体性の描写が僕の強みだと思うので、今回は男たちがまさに何百人がかりで体を張った古式捕鯨を題材にしてみました。〈龍虎華形を彩色し五色爛然たり〉と『紀伊続風土記』で謳われた船の装飾は、鯨に極楽浄土の入り口を見せるための配慮でもあったらしく、太地では鯨を〈夷様〉と呼び、感謝と敬意を絶やさずにきた。そんな土地で今でもシーシェパードは妨害活動を続けています。そこには西洋と東洋の相容れない文化の衝突があります」
村全体が〈刃刺〉や水主といった沖合衆、または肉や油の加工を担う納屋衆として鯨に関わり、各地から〈旅水主〉までが流れ込む太地は、独自の掟や階層によって漁の安全を維持し、新宮藩も手を出せない治外法権同然の土地でもあった。
そんな太地にわけあって流れ着いた肥前大村出身の〈仁吉〉と、家族に虐げられてきた少年〈音松〉の交流を描く「旅刃刺の仁吉」。城下で相次ぐ遊女殺しの真相を探るべく潜入捜査に送りこまれた岡引の〈晋吉〉が、ミイラ取りさながらに鯨漁の妖しさに魅入られる「比丘尼殺し」など、鯨と生きる人々の姿を成長譚から捕物帳まで様々な趣向で描いた全6話は、必ずしも勇壮なだけではない。むしろ弱くも狡くもある人間が一丸となるために、村人は、掟を破った者はたとえ親兄弟でも手酷く制裁する冷酷さを強いられていた。
「でもそれがこの閉ざされた村の正義であり常識で、今だってこの社会が開かれているなら東電の漏水問題なんて起きないわけです。家電業界を見てもパナソニックのプラズマディスプレイ然り、シャープの堺工場然りで、どう考えてもあり得ない戦略や投資に役員も社員も何も言えず、結局失敗した例がいかに多いか。
ただそれも企業の文化であり体質なんです。汚染水が漏れようが、堺に1兆つぎ込もうが、社内的に波風さえ立てなければ退職金を満額もらえると思い込んでいる人たちが、現状をクールに批評しあう“レビュー集団”になり下がっている。つまり太地だけが閉鎖的だとは言えないわけで、せめて本書が、国際的に見ても曲がり角に立つ日本の会社や組織を見直すきっかけになれば嬉しい」
構成/橋本紀子
※週刊ポスト2013年5月31日号