【著者に訊け】辻村深月氏/『島はぼくらと』/講談社/1575円
舞台は瀬戸内海に浮かぶ、本土から船で20分の〈冴島〉。限られた空間に限られた人間がいて、そこを出たり入ったりする島は、言われてみれば小説空間そのものだ。人々の関係性が密であればあるほど摩擦や軋轢もまた生まれ、事件や騒動や様々なドラマを生む──。
辻村深月氏(33)の直木賞受賞後第一作『島はぼくらと』では、フェリーで本土の高校に通う4人の〈島の子〉を軸に、人口3000人弱の離島で繰り広げられる人間模様を描く。島に自然と不便が同居するように、人にも温もりと醜さの両面があり、それらを見つめる4人の曇りのない目が印象的だ。氏自身、刊行にあたってこう言葉を寄せる。
〈ずっと“闘う”ような気持ちで書いてきた「地方」や「故郷」のテーマの先に、こんな景色が広がっているとは思いませんでした〉
そして辻村氏は最新作についてこう語る。
「出身は山梨県で、所謂“海なし県”です。四方を山に囲まれた故郷は私の原風景だけに愛も憎もあって、今までは地方の閉塞感を否定の積み重ねで表現してきた気がする。都会的な価値観に縛られ、田舎や自然の美点にこそ何かを求めるという流れにも賛同しきれなかったところに、3年前に瀬戸内の島々を泊まり歩く機会があって、自分の知る東の田舎とは全然違う田舎を目の当たりにしたんですね。
遮るものが何もない、四方が海、という環境。あの圧倒的な光や開放感を借りるようにして、これまでと全く違う田舎・故郷像を書いてみたいと思いました」
〈池上朱里〉(いけがみあかり)、〈榧野衣花〉(かやのきぬか)、〈矢野新〉(やのあらた)、〈青柳源樹〉(あおやぎげんき)は高校のない冴島の4人きりの同級生。4時10分発が最終便のため部活は難しく、自然といつも一緒にいるが、衣花は代々続く網元の娘、源樹は東京から来たリゾート会社の一人息子など、家庭事情は様々だ。
漁師の父を亡くした朱里は祖母と母の3人家族で、母は最近島のおばちゃんたちが公民館で地元の特産品を手作りしている「さえじま」の社長に籤引きで選ばれた。同社は村長が〈Iターン〉の誘致と併せて掲げる〈シングルマザーの島〉の受け皿でもある。若く美しい未婚の母〈蕗子〉や、軟弱だが人は悪くないウェブデザイナー〈本木〉、地域活性デザイナーの〈ヨシノ〉など、島を訪れる若者もワケありだ。
物語は、島への最終便に自称作家〈霧崎ハイジ〉と4人が同乗したことで動き出す。霧崎はある著名作家が島に残した〈幻の脚本〉を探していると言い、脚本家志望の新は興味津々だが、衣花や源樹はどうやら盗作が目的らしい霧崎の魂胆を見抜き、ある計画を立てる。
一方朱里はある理由から故郷でも好奇の目に晒され、この島にようやく居場所を見つけた蕗子の存在が世間に知れることを恐れていた。蕗子親子を一家で見守り、彼女と親しいからこそ〈その人の栄誉は獲得したその人だけのものなのだ〉と思う朱里に、蕗子は以前こうこぼしたのだ。〈故郷ほど、その土地の人間を大切にしない場所はない〉〈人が乗っかるのは、栄誉だけではない。人間は自分の物語を作るためなら、なんにでも意味を見る〉と。
「3.11もそうですが、9.11のとき私は学生で、何か事件や災害があると、その悲しみを自分に一番悲しむ権利があるとばかりに引き寄せる人の姿に衝撃を受けたんですね。自分の物語は自分で作るしかないのに、誰かの不幸に勝手な意味づけをし、自分の物語として消費することを何の躊躇もなくできる人もいる。栄誉に便乗するならまだしも、よく知りもしない人の不幸を『実は知人が被災して』なんて、なぜ言えるのかと。
蕗子のような栄誉・快挙に地元が沸くのは、誰もみな、悪意なく行なうことだとは思うのですが、それでも他人の人生に軽い気持ちで乗りかかろうとすることで起きるこの弊害を、一度小説の形で書いておきたかったんです」
辻村氏は、どうすれば故郷を見直せるかを、当初は自分と同じ、蕗子ら30代の話として書き始めたという。
「ただ、正面から闘っても煮詰まるばかりで、その先に進めたのは瀬戸内の光と、この4人のおかげ。例えば蕗子が言いたいことを朱里たちに託して“引くこと”を覚えたら、自然と見えてくるものがあったんです。私の特に初期の作品には、比較的同世代に支持される青春小説が多かったんですが、彼らの感性や行動力がむしろ私たち大人を前進させ、力をくれるというのは、新たな発見でした」
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2013年6月21日号