来年2014年の「東京マラソン」は2月23日の日曜日に開催される。8月1日からインターネットで申し込みが始まるが、応募者は買いを追うごとに増え続け、2013年大会の抽選ではとうとう10倍を超えた。これほどの人気を集める、都心を横断するように走り抜けるコースは、どのように決定されたのか。作家の山藤章一郎氏がコース選定に深くかかわった人物を尋ね、報告する。
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東京マラソン、来年2014年の一般ランナー2万9400人の募集が今年も8月1日から始まる。2013年は30万3450人の申し込みがあり、抽選倍率約10.3倍だった。参加料1万円。かねてよりワンダーがあった。そもそもなぜ現在のコースになったか?
慣れぬサドルに尾てい骨をこすりつけ、痛い思いをしてコースを走ってみる無謀を企てたのは、運営人の苦労を体感するためだった。けど、痛すぎた。しんどすぎた。けど、先達がいた。
都庁に勤めるかたわら、1年間、毎日曜日、休日手当なしでカゴつきのママチャリにまたがって、平均30キロを走った偉人である。偉人は、死にそうになった。
「1年間で50回。掛けると1500キロです。道路、ビル、店、人の流れを写真に撮って地図に書き込みながらね。でも、ガードレールにぶつかる。パンクする。押して近くの自転車屋を探す。後ろからの車にひっかけられそうになる。尻の皮が剥けちゃうぐらいはどうでもいいけど、死ぬ覚悟です」
この偉人こそ、東京マラソンのコースを作った立役者である。むろん、何人もが会議を重ねて最終的に決めたが、死ぬ思いをしたのはこの人だけである。
初めは、いくつものルートを東京都の地図に想定し、それぞれの42.195キロに白い糸を貼りつけていった。
「だが、これじゃアップダウンも、沿道の風景も分からない。封鎖時の駐車場は? じゃ、自転車だ」
偉人は、早崎道晴さんという。58歳。2007年の第1回当時は〈東京マラソン事業担当〉。いまは〈スポーツ振興局〉の偉いさん。
さて日曜朝7時半、偉人は、財布、カメラ、メモ帳、地図をママチャリのカゴに入れて足立区千住の家を出る。9時、東京マラソンスタート時間、都庁に着く。これよりいざマラソンコースに出発。ルートをさまざまに変え、夕刻前、ビッグサイトに辿り着く。また家までペダルを漕いで帰る。
「私、スポーツ大嫌いなんです、やるのも見るのも。他人が走ってどこが面白いって。それでも、命じられたかぎりはなんとか作らなければ、と必死でした」
東京マラソンの主目的は観光視点で東京の魅力を売ることだった。いろんな人が、いろいろいう。警視庁はいきまく。長時間の道路封鎖、交通規制など許さん。日本陸連は注文をつける。風に影響されない好記録が出るコースにせい。市民マラソン愛好家は、東京をぐるっと円でまわるのはどうだ。警視庁が反撃する。それじゃ円のなかの住民はマラソンがすべて終わるまで、外に出られない。
間に挟まる偉人は頭を抱えた。東京観光といえば、浅草観音さん、東京タワー、二重橋前、銀座。ぼんやりと像が浮かんできた。
「円ではなく、この点を結ぶ線だ」
グーグルマップはまだない。チャリで走った線を色鉛筆で地図に塗っていく。おそろしいほどのアナログ手法である。だがこれがあとで奏功した。
難関・警視庁以下、商店、ホテル、デパートなど、ほぼ100店が、現在の東京マラソンのコースに初めは反対をとなえた。ひとつずつ説いた。
※週刊ポスト2013年8月2日号