秋は学園祭シーズンだ。おじさんたちの「学園祭武勇伝」は事欠かないが、最近は飲酒規制などで大人しい傾向だという。新しい学園祭のスタイルはあるのか。作家で人材コンサルタントの常見陽平氏が考察する。
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秋です。学園祭シーズンです。大学の非常勤講師であり、大学院生でもあり、学生を前に講演する機会も多い私は、日常的に大学にお邪魔しているわけですが、キャンパスはすっかり学園祭モードになってきました。今どきの学園祭について考えてみたいと思います。
「昔の学園祭は、めちゃくちゃだったよね……」
最近、知り合った50代半ばの漫画家はこう語ります。彼が学生だった70年代後半の学園祭では、夜中までバンドのライブがあったとか。みんなアルコールをガンガン飲みまくります。学内で公然とセックスをする者さえもいたそうです。それ以上に「やばい」ことも。大学の近くには毎年、パトカーが待機していたとか。都市伝説のようですが、本当の話です。
私は90年代に学生生活を過ごしたわけですが、当時の学園祭もまだカオス臭はありました。母校一橋大学の学園祭では、サークル対抗歌合戦という名物イベントがあったのですが、要するに下ネタ大会なのですね。下品な替え歌、踊りに満ちていました。ブルーハーツの代表曲、「リンダリンダ」に合わせて、半裸の男たちが、ペットボトルを股間にあて男性器の名前を連呼するなどは序の口。歌合戦なのに、何故かステージ上で脱糞し、それを爆竹で爆破するというカオスな芸をする者も。
さらには、「池落ち」という、酔ってみんなで大学の池にダイブするというイベントもありました。私自身は、飛び込んだことがないのですが、ちょうどこのイベントがある日に、サークルでプロレスラーの講演会を開いたことがあったのです。その時に、レスラーにトイレをご案内したところ、泥酔者がまるで野戦病院のようにゴロゴロと倒れており、「つ、常見くん!人が死んでいるよ!」と駆け寄ってきたことを覚えています。屈強な体格のレスラーが、ですよ。
もっとも、こんなことがいつまでも続くわけがなく、「池落ち」に関しては、全国紙でバッシングを受けたこともあり、何より健康上危険であることは明らかで、90年代後半には禁止となりました。そのため、学園祭期間は学内の池の水はいったん抜かれることになっています。
2010年代においては、学園祭の「浄化」が進んでいると感じます。特にうるさくなっているのは、飲酒関連です。ここ数年で早稲田、明治、法政、一橋などで学園祭期間中、学内での飲酒が禁止となりました。他、飲み過ぎと未成年の飲酒を避けるためのチケット制や、アルコールパス制(20歳以上である人はパスを首からぶら下げる)なども導入されています。もっとも、学生の飲酒による死亡事故は発生しており、大学側も敏感にならざるを得ないといえるでしょう。学園祭に限らず、学内での酒盛りまで禁止する動きはあります。もちろん、賛否両論あり、昨年は法政大学では飲酒規制反対を主張するデモが行われました。
とはいえ、学園祭での飲酒規制を「けしからん」と言うつもりはありません。大酒飲みの私としては、参加者として飲めないのは寂しいですけどね。そもそも、若者のアルコール離れは進んでおり、実はアルコールを禁止したところで、当事者である学生たちは困らなくなっているのではないかと思うのです。アルコール離れが進んでいるからこそ、学園祭のような場で慣れない酒で盛り上がるのは危険なのです。
学園祭でアルコールを規制することによって、「飲み方を教える機会がなくなる」という批判もあるでしょう。でも、所詮、学園祭など年に一度のものですよ。アルコールとの付き合い方を学ぶ場としては、普段のサークルやゼミでの飲み会の方がしょっちゅうあるわけです。
個人的には、そろそろ学園祭の新フォーマットが必要だと思っています。焼きそばなどの屋台を出して、各サークルがお馴染みの発表をして、お馴染みの著名人が登場して講演して、なんとなくバンドを呼んで、意識高い人がビジネスコンテストで中途半端なプランを発表して……。もちろん、マンネリ化しているものには合理性があるわけですが。そろそろ新機軸が必要だと感じるわけです。
これまでの定番企画であったとしても、学生ならではの、感度の高さを期待したいのです。「よくぞこのアーチストを発掘してきた!」「よくぞ、この論客にスポットをあてた」というような。
全国には約780の大学があるわけですが、同じようなことをしているなとも感じます。やや優等生的な言いっぱなしですが、その大学らしさとは何かを考えたいところです。
学園祭がお行儀よくなっていることには寂しさを感じつつも、時代の変化を感じます。ただ、では次の時代を創れているかというとそうでもないと思うのです。いよいよ学園祭が始まりますが、学生の皆さんには、新フォーマットの模索を期待します。