その年、村串さんは還暦を迎えた。検査のために食道などの組織を5か所採取した後、妻と娘、息子と一緒に台湾旅行に出かけた。「最後の家族写真になるかもしれない」と思い、4人一緒に多くの写真を撮ったという。帰国後、検査結果を聞くと、「問題なし」。
「だけど、その春にまた出ました。食道のど真ん中に1か所。リンパ節の一歩手前まで及んでいて、抗がん剤と放射線治療をやりました。もう何度目の入院なのかわからないぐらいです。さらに下咽頭に出た。これは放射線で35回、病院に通って焼きました。さらに半年後、中咽頭に見つかり、電気メスで病巣を取った。
もうこんなことを10年続けていて、嫌になっちゃいますよ。メモを引っ張り出さないと、どこにいくつがんができて、どれだけ手術したかもわからないぐらいですから」(同前)
数えると計12か所。村串さんの場合はがんが転移して拡散していったわけではなく、それぞれが別の原因で発生した「多重がん」だ。東京都立駒込病院の唐澤克之・放射線診療科部長が解説する。
「食道がんや咽頭、喉頭、舌といった頭頸部のがんでは、多重がんが珍しくありません。胃や食道の内視鏡検査の時に、併せて発見されることも多いのです」
村串さんがいう。
「それでも私は発生の頻度が通常に比べても多い。考えたくないけど、まだ続けている酒とタバコが原因かもしれません。それと、20代から40代半ばまで不眠不休でストレスの多い記者業を最前線でやってきたことも原因でしょうか」
前出の『がんと明け暮れ』には、こんな一節がある。
〈なるようになるなら、なるようにする。なるようにならないなら、成り行きにまかす〉
村串さんが続ける。
「私は医者に全部任せちゃいました。自分では何もしていない。がんの治療本も一切読んでません。“特殊なキノコが効く”と勧められたこともあったけど、試そうとも思わなかった。嫌々でしたが、病院に通って検査してもらって、がんが見つかれば、“きっと何か先生が処置を考えてくれるだろう”と。素人がいくら考えても、わかんないですから」
※週刊ポスト2014年1月17日号