太宰治の名作『走れメロス』について、愛知県の中学生が物語の設定を詳細に検証し、「メロスは歩いていた」としたレポートが理数教育研究所主催のコンクールで最優秀賞を受賞して話題となったが、日本文学にはこのほかにもツっこみたくなる矛盾がまだまだある。
比較文学者の小谷野敦氏は明治の文豪・夏目漱石の代表作『こころ』のこんな記述が気にかかるという。
《私は繊維の強い包み紙を引き掻くように裂き破った。中から出たものは、縦横に引いた罫の中へ行儀よく書いた原稿様のものであった。そうして封じる便宜のために、四つ折にたたまれてあった》
「以前から指摘がありますが、『先生』が『私』に過去について告白する手紙は原稿用紙にして数百枚分もあるので、四つ折にするのは無理だし、手紙の分量から考えて、とても普通の封筒に入りきりません」(小谷野氏)
まるで、とても入りきらないはずの5000万円が入っていた猪瀬直樹前東京都知事の「四次元カバン」のよう。
他にも、どちらも家の跡取りであるはずの「先生」と「静」が何の説明もなく結婚できてしまう点など、『こころ』は話の筋に疑問や矛盾点が多いという。
文芸評論家・末國善己氏は同じく漱石作品の『坊っちゃん』にも矛盾点があると話す。語り手の「おれ」(坊っちゃん)が少年時代に住んでいた家の周辺の記述の部分だ。
《庭を東へ二十歩に行き尽すと、南上がりに聊かばかりの菜園があって、真中に栗の木が一本立っている。(中略)菜園の西側が山城屋という質屋の庭続きで、この質屋に勘太郎という十三四の倅が居た》
と書かれているのだが、「庭の東に菜園があるのなら、菜園の西側は、山城屋ではなく《おれ》の家のはずなのに別の場所になっています」(末國氏)
「四次元封筒」の例といい、漱石の手にかかると時空はいともたやすく歪んでしまう。
※週刊ポスト2014年3月7日号