頼太郎が点をつけたのは「尼崎」ではなく、周辺の芦屋市、宝塚市、伊丹市にそれぞれ1カ所ずつだった。
「具体的には聞いてへんけど、遺体はぜんぶ女の人らしいで。あ、せや。ここ、ここだけはな……」
田崎は芦屋市につけられた点を指さした。
「マンションの建設現場で、まだ基礎を作っとる段階やったんやて。ほんでな、その基礎のコンクリの中に埋め込んだそうや」
「基礎に、ですか……」
私はそう復唱すると息を呑んだ。
「そうや。なんでもな、美代子に工事現場を探してこい言われて、頼太郎が見つけてきたらしいんや。ほんでそのあとで、美代子と一緒に見に行った言うてた。工事中でまわりを囲っとるから、内側でなにしても見えへんねん。まだ固まってないコンクリをどけて、遺体を基礎の鉄骨に縛りつけ、それからコンクリで埋めなおしたんやと」
かなり具体的な内容である。私は田崎に尋ねた。
「自分の身の上にもかかわるそんな重要な情報を、どうして頼太郎は田崎さんに渡したんですか」
田崎はにやりと笑う。
「あんな、点を打った場所がいまどうなっとるか、見てきてほしいて言われたんや。やっぱ気になるんやろうな。遺体を埋めた場所が更地になっとんのか、建物が建っとるんかが。ほんで地図を渡されたんや」
地図は田崎が釈放時に持ち出しても警察当局に怪しまれぬよう、場所を示す“点”以外の情報は記されていない。
昨年、私は『家族喰い―尼崎連続変死事件の真相―』(太田出版刊)という本を上梓した。同書の取材では、結果的に尼崎市やその周辺に120日以上滞在することになったが、事件の全体像を照らし出すにはそれでも足りなかった。
出版を機に新たな情報提供が相次いだが、真偽不明の内容も多く、結果的に闇は深まるばかりだった。今回、田崎から第三者を通じて入った連絡もそのひとつだ。そのひとつとはいえ、群を抜いて“濃い”情報だった。(文中敬称略)
※週刊ポスト2014年5月9・16日号