企業にとって自社をアピールするロゴマークは“最上の看板”であり、社長よりも重い存在といえる。
国際的な競争が激化するなか、日本企業の再編・淘汰が相次いできた。新たに誕生する合併企業につきものなのが新しいマークづくりだが、そこには旧企業の思惑が入り乱れるのが常だ。代表例が3行に集約されたメガバンクだろう。
そこで、三菱東京UFJ銀行のマークを手がけたデザイナーの永井一正氏(日本デザインセンター最高顧問)に聞いてみた。同氏はアサヒビールや東京電力をはじめ100社近い会社マークをデザインしてきた業界の重鎮といえる存在だ。
「電通、ランドーアソシエイツ、博報堂の3社による企画段階のコンペで、博報堂が選ばれました。博報堂の企画は、私と、米国の有名なグラフィックデザイナーのアイヴァン・チャマイエフ氏の2人がデザインを担当する内容でした。それから私とアイヴァンは6案ずつ、計12のデザインを提案しました」
この時、旧東京三菱と旧UFJの力関係には歴然の差があった。なにしろ旧UFJは2003年の金融庁の特別検査忌避事件で疲弊しており、合併の株式比率は旧三菱の1に対し、旧UFJは0.62と明らかに旧三菱が優っていた。旧三菱による事実上の救済合併だったこともあり、合併後の新銀行頭取も旧三菱の畔柳(くろやなぎ)信雄頭取で決まっていた。
だからだろう。永井氏はこんなエピソードも披露する。
「プレゼンは役員会で行なわれました。私はその場に参加しませんでしたが、後で聞いた話では、畔柳氏が12案の中から私のデザインを見て、『気に入った! これにしたい!』と即決してくださったそうです」
それを裏付けるかのように、採用されたロゴカラーも、旧UFJのエンジ色ではなく、旧三菱と同じような赤色となっている。これひとつとっても、新マークには三菱側の意向が色濃く反映されている様子がうかがえる。
※週刊ポスト2014年6月27日号