初めて能を見たのは今から40年以上前のこと。米国オハイオ州生まれの能楽師、リチャード・エマートさん(65才)は、その音楽に魅了されたという。
「1970年、大学生だった私は日本への留学が決まっていました。友人から、日本に行く前に見ておいた方がいい!と大学で開講されていた能のゼミに連れて行かれたのです。初めて能を見て、『よぉ~っ』とか『ほぉ~っ』という聞いたことのないかけ声にびっくりして爆笑してしまいました(笑い)。でも、その音楽やお囃子のリズムが心地よかった。そしてそのゼミで英語能『聖フランシス』のシテ(主人公)を演じたのです」(エマートさん・以下「」内同)
しかし、日本に来て最初に学んだのは能ではなく尺八。尺八を勉強しながら能の舞台にも足を運んだ。一度は帰国したものの1年後に再来日し本格的に能の勉強を始めた。
「1973年の10月、狂言師のダン・ケニーさん(1959年来日。野村万作に師事)から『東京で聖フランシスをやりたい、協力してほしい』と言われ音楽監督を務めることになりました。やる以上は能をきちんと習いたいと申し入れ、喜多流の先生を紹介してもらい日本の能を学びました。1974年からは東京藝大音楽学部に入学し、寝ても覚めても稽古をする毎日でした」
エマートさんは、「自分は外国人だからこそ能に馴染みやすかった」と、能表現の大切さを語る。
「能の言葉は難しいので、日本人はまずその言葉の意味や発声を理解しようとして苦しんでしまう。しかし能は言葉以外の音楽やリズムで能面や装束の美しさを表現することが重要です。私の両親は音楽の教師で小さな頃から音楽に親しんできました。また、踊りにも自信があった。言葉の意味の理解からではなく表現力を重んじたことが能を究めてこられた理由かもしれません」
エマートさんには、日本音楽への強い思いがある。
「日本の教育では、西洋の音楽やオペラなどを中心に学んでいます。もっと日本の古典音楽や芸能についても触れてほしい。言葉ばかりの西洋劇よりも音楽を楽しめるのが日本の芸能なのです」
※女性セブン2015年1月22日号