その格差は社会保障分野の諸施策ではとても縮まらない。正社員は定期昇給で年々給料が上がるが、バイトなど非正規の時給が上がり続けるなど想像しにくい。キャリアアップを目指そうにも、“補助労働”が主であるため困難だ。起業はさらにハードルが高く、正社員の経験がない者にはリスクが大きすぎる。
そうした現状を、「個人の努力が足りない」と切り捨てるのは簡単だ。たしかに「努力」は失敗した場合も成功した場合も使える便利な言葉である。が、長年フリーターだった経験からは、今の日本では「努力のしようがない」とさえ感じる。成功体験を持たない身としては、「平和な不平等社会」でチャレンジするのは分が悪い、というのが偽らざる本音なのだ。
そうした中で唯一、格差が解消される可能性を感じられるのが戦争なのである。
もちろん、戦争などしなくても議論により制度が変革される社会であってほしいが、現状はそうなってない。「不平等」が温存される「平和」がこの先もずっと続くのなら、底辺に押し込められた弱者は、戦争によるカタストロフィー(大変革)に希望を見出すしかない。その時、戦争は現実的な選択肢となるだろう。
※SAPIO2015年4月号