ファミコンの思い出について語る玉袋筋太郎
家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ』(任天堂)こと「ファミコン」のゲームは、発売から32年経った今もその衝撃と感動は決して色褪せてはいない。ファミコンブーム直撃世代のお笑いコンビ「浅草キッド」の玉袋筋太郎が、ファミコンのゲームが原因で起きた相方・水道橋博士とのコンビ解散の危機を振り返った。
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ファミコンを買ったのは確か高校1年か2年の時。親にねだってソフトを買ってもらってね。親パワー炸裂ですよ。
当時ハマったソフトは『マリオブラザーズ』『エキサイトバイク』『スターラスター』とかかな。友達と『ベースボール』で真剣に打率表を作ったりもしたなあ。楽しかったですよね。一番得意なのは『チャレンジャー』でした。
浅草キッドは、実は『ファミスタ』(『プロ野球ファミリースタジアム』)が原因で、解散の危機があったんですよ。若い頃に1点100円ずつお金を賭けてやっていて、それでケンカになっちゃって(笑い)。冗談抜きで何度かヤバかったですね。
今でも新年会なんかではみんなで集まってファミコンをやりますね。『ゼビウス』なんかは盛り上がりますよ。
『ゲームレコードGP』(MONDO TV)っていう番組のMCをやっていた時は、「パックマン二人羽織」とか、「ステージタイムトライアル」とか、「敵を倒すなフルマラソン」とか、色んな企画をやりました。
ファミコンソフトって遊び方次第で、面白さは無限に広がるんですよ。そういうくだらないけど楽しいことを考えながらプレイしてた人って、当時はいっぱいいたんじゃないですかね。
●たまぶくろ・すじたろう/1967年生まれ。お笑いコンビ「浅草キッド」のボケ担当。スナック愛好家として知られる一方、かつてMONDO TVで放送されていた『ゲームレコードGP』のMCを務めるなどゲームにも造詣が深い。
※週刊ポスト2015年4月3日号