「永楽館や秋田の康楽館のように、町に一つ、芝居小屋があって、庶民の娯楽として親しまれた頃の風景が甦るのは本当に素敵ですし、歌舞伎座や松竹座のような大劇場もそれはそれでいい。観客が観る楽しみも増えますし、僕らも制約がある中で工夫をするのは大変な反面、楽しくもあります」
目的は歌舞伎が広く愛されつづけること―そのための努力なら惜しまない氏は、日々伝統と対峙しているせいか至極謙虚に映る。
「特に自分では謙虚だとも思わないし、僕はいただいた台詞一つ、満足に言えない時からその日の舞台を無事勤めることだけを考えてきました。芝居には正解も完璧もないからこそ、周りありきの自分を痛感せざるをえない。
でも結局は様々な重圧に耐え、腹を括らないと何もできないのは多分皆さんと一緒ですし、元々器用じゃない僕は、昼は蕎麦と決めたら一か月間毎日蕎麦でも平気なタイプ(笑い)。子供の頃に『歌舞伎って凄い』と思った気持ちは今も全く変わりません」
そんな役者の気取らない自負と、出石の自主自立の気風が出会って「永楽館歌舞伎」は生まれ、自立した点と点が線や面になる町興しでは、「守る」という行為が前向きに映るから不思議だ。永楽館や上方歌舞伎もそう、今時の「守る」には進取の精神と仲間が肝要なのである。
【著者プロフィール】片岡愛之助(かたおか・あいのすけ):1972年、堺市で金属加工業を営む一家の長男に生まれる。子役として6歳から舞台を踏み、1981年、故・十三世片岡仁左衛門の部屋子に。片岡千代丸を名乗る。1992年、二代目片岡秀太郎の養子となり、六代目愛之助を襲名。1997年発足の上方歌舞伎塾では父と共に後進の育成に努め、自身も主に立役を得意とする主力に成長。2008年より「永楽館歌舞伎」座頭を務め、TBS系「半沢直樹」の黒崎役などドラマ、演劇等でも活躍。172cm、73kg、B型。
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2015年5月8・15日号