漫画はそのあとお決まりの「押しつけ憲法論」が登場。「押しつけ憲法論」とこのあとに出てくる「外国は何回も憲法改正している」って話は、改憲論者はもう持ち出さない方がいいと思う。これまで何度も持ち出しては論破されているし、戦後から時が経てば経つほど、米国の「押しつけ」は遠くなる。また米国からのさまざまなプレッシャーが掛けられているので、70年前の押しつけより今の「押しつけ」をなんとかしいほしいと国民は感じている。
もう改憲派の「押しつけ憲法」論と護憲派の「我が子を戦場に送るな」式のシュプレヒコールは、憲法論議の土俵から降りてくれないかなあ。この人たちがいると法律論が感情論になる。
そのあとのは人権についての物語になるのだが、
夫の父親「つまりは基本的人権があるからといって何をしてもいいわけじゃないってことだ!!」
夫「そうでしようねぇみんながワガママを主張したら社会は壊れちゃう」
という感じで、自由を振り回しすぎた日本、みたいな描写が続く。
これがこの漫画の致命的な欠陥で、「いき過ぎた基本的人権」を主張するわりには、そもそも基本的人権とはなにか、という法律学定義がどこにも書いていない。立憲主義も書いていない。この漫画の目的は国民に憲法について考えて、話し合ってもらおうということだ。それは良いのだが、前提になる「定義=共通認識」がないので、話し合おうにもそれができない。
さらに物語は9条について進むのだが、自民党は去年7月に集団的自衛権も認めらると閣議決定したことで、9条改正のハードルを自ら上げてしまった。解釈改憲などせずに正面から「集団的自衛権を行使するために9条を変えたい」といえば、集団的自衛権が国連憲章にも保障されていることから、国民も改憲の土俵に登りやすかったのではないか。
解釈改憲でもまだできないものとしていま残っているのは、「海外派兵」と「長距離爆撃機などの大型兵器」である。だが自衛隊を米軍のように中東や世界の紛争地に派兵することは国民に抵抗感が強い。とうぶん、9条の改正はかなわないだろう。拙速、自業自得である。
そしてラストでおじいちゃんのセリフ。
「敗戦した日本にGHQが与えた憲法のままではいつまで経っても日本は敗戦国なんじゃ」
憲法をどうしようが、敗戦した事実は変わらない。
私は憲法もひとつの法律なので、改正の対象になることは勿論だと思っている。だがそのためには、何のためにどの条文を変えるのか、具体的に指摘しないといけない。結局この漫画は従来の改憲派と同じく雰囲気だけで憲法改正に持っていこうとしているだけで、改憲派の私から見て残念な作品に終わっている。