橋爪:イスラム教徒は「コーラン」をどこまでも正しいと考えて、書いてある通りに行動します。そんな姿を見たキリスト教徒が、ファンダメンタリスト原理主義者とレッテルを貼りました。
遡れば、第一次大戦後、西欧諸国は、中東地域を植民地にしました。植民地政府は、イスラム法を無視した政治を行って、イスラム共同体が破壊された。ここに中東の大きなトラウマがあります。
独立後もイラン革命(*4)で打倒されたパフラビー王政のように西欧化を進める政権もあった。そんな近代化、西欧化に対する反動が「イスラム回帰」「イスラム復興」の原動力になりました。
【*4イラン革命/1979年、独裁と批判されていたパフラビー王朝に対して、民衆が蜂起。同革命で、イスラム教に基づく共和国が樹立。亡命中のシーア派のホメイニー師が帰国して、最高指導者となった】
これは何もイラン革命の精神的指導者となった、12イマーム派のホメイニーだけではなく、あちこちのイスラム世界で起き、イスラム原理主義という言葉まで生まれ、現在にいたっている。イスラム教徒にとってはグローバル世界で自らの居場所を見つける運動だともいえます。
※SAPIO2015年6月号