テーズとの世界戦から2日後の2月17日、馬場はニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデン定期戦でB・サンマルチノのWWWF世界王座にも挑戦。
60分3本勝負で争われたタイトルマッチは、サンマルチノが1本先取後、ニューヨーク市条例のカーフュー(午後11時で興行中止)による時間切れでサンマルチノが王座防衛に成功した。
この試合は1万4764人の観客を動員し、4万4219ドル(1ドル360円換算で約1590万円)という当時としては記録的な興行収益をはじき出した。
翌18日、西海岸に移動し、WWAエリア入りした馬場は、2月28日(ロサンゼルス)、3月20日(ロサンゼルス)、3月27日(サンディエゴ)の3興行でフレッド・ブラッシーが保持するWWA世界王座に連続挑戦。
それぞれ1-1のタイスコアから時間切れ引き分け、両者リングアウトによるドロー、ブラッシーのフォール勝ちで馬場の王座奪取はならなかったが、どこへ行っても主役扱いの馬場の商品価値はすでに“チャンピオン”のそれだった。
馬場はこの時、東郷から“10年契約”の専属契約書を提示された。東郷は「日本のプロレスはもう終わりだ。アメリカに残れ」と馬場を説得し続けたという。
しかし、馬場は東郷との契約書にはサインをせず、ロサンゼルスでの日程を切り上げ、ハワイで1試合だけ行ない、4月2日に日本に向けて帰国。翌4月3日、羽田空港から蔵前国技館に直行し、『第6回ワールド大リーグ戦』開幕戦のリングに滑り込んだのだった。
■斎藤文彦(さいとう ふみひこ)/1962年東京都生まれ。早稲田大学大学院スポーツ科学学術院スポーツ科学研究科修了。コラムニスト、プロレス・ライター。専修大学などで非常勤講師を務める。『みんなのプロレス』『ボーイズはボーイズ-とっておきのプロレスリング・コラム』など著作多数。
※週刊ポスト2015年7月3日号