ライフ

【書評】現在の日本文学が全盛期であるということが分かる書

【書評】『日本文学100年の名作第10巻 2004-2013 バタフライ 和文タイプ事務所』/池内紀・川本三郎・松田哲夫 編/新潮文庫/890円+税

【評者】嵐山光三郎(作家)

 池内紀・川本三郎・松田哲夫編の「日本文学100年の名作」全10巻シリーズはこれにて完結。第10巻に収録されたのは2004~2013年に発表された16編で、巻末に選者による「読みどころ」解説がついている。どの短編も初めて読むものばかりだった。

 で、わかったのは、現在の日本文学が全盛期であるということだった。表題作「バタフライ和文タイプ事務所」(小川洋子)は、和文タイプ事務所へ新入りタイピストとして入社した「私」の物語。広い活字盤の中から一つの文字を探す手の動きが、花の蜜を求めて飛ぶ蝶のように見える。

 事務所の三階にある診療所待合室のような小部屋へ欠けた活字を持っていくと新らしい活字を出してくれる。「糜爛(びらん)」の糜の字であった。淫靡の靡。姿が見えない活字管理人の指は細く、爪までが鉛色に変色していた。つぎに壊れたのは睾丸の睾の字。タイプで打つのは医学論文だから、こういう字が酷使されて、磨耗している。活字管理人に興味を持った「私」はわざと活字を欠いて届ける。さて、それはいかなる字であるか。

 わっ、エロだなあ。活字に欲情して精神が勃起する。なるほど、こういう手があったか。これは平成を代表する短編小説の傑作である。じっくりと再読して、小川洋子の才能に目がくらんだ。

 桐野夏生「アンボス・ムンドス」は女子小学生の嘘が女性教師を翻弄する。怖いですよ。心臓に金属の定規を当てられたようでズキンとくる。さぐりあてた真相の奥にもうひとつの真相がある。

 三浦しをん「冬の一等星」は八歳のときに誘拐された少女の記憶。誘拐するつもりはなかったのに偶然「誘拐」になってしまう。少女と犯人は高速道路の夜のサービスエリアでうさぎ座の星を見る。

 女性作家のパワーが強力で、活字の官能に溺れ、女子小学生の嘘におびえ、少女と一緒に夜の星を見た。文庫本一冊で物語のシャワーを浴び、びしょびしょに濡れた。濡れた指のまま、この感想文を書いております。

※週刊ポスト2015年7月31日号

関連記事

トピックス

11月24日0時半ごろ、東京都足立区梅島の国道でひき逃げ事故が発生した(右/読者提供)
【足立区11人死傷】「ドーンという音で3メートル吹き飛んだ」“ブレーキ痕なき事故”の生々しい目撃談、28歳被害女性は「とても、とても親切な人だった」と同居人語る
NEWSポストセブン
愛子さま(写真/共同通信社)
《中国とASEAN諸国との関係に楔を打つ第一歩》愛子さま、初の海外公務「ラオス訪問」に秘められていた外交戦略
週刊ポスト
グラビア界の「きれいなお姉さん」として確固たる地位を固めた斉藤里奈
「グラビアに抵抗あり」でも初挑戦で「現場の熱量に驚愕」 元ミスマガ・斉藤里奈が努力でつかんだ「声のお仕事」
NEWSポストセブン
「アスレジャー」の服装でディズニーワールドを訪れた女性が物議に(時事通信フォト、TikTokより)
《米・ディズニーではトラブルに》公共の場で“タイトなレギンス”を普段使いする女性に賛否…“なぜ局部の形が丸見えな服を着るのか” 米セレブを中心にトレンド化する「アスレジャー」とは
NEWSポストセブン
日本体育大学は2026年正月2日・3日に78年連続78回目の箱根駅伝を走る(写真は2025年正月の復路ゴール。撮影/黒石あみ<小学館>)
箱根駅伝「78年連続」本戦出場を決めた日体大の“黄金期”を支えた名ランナー「大塚正美伝説」〈1〉「ちくしょう」と思った8区の区間記録は15年間破られなかった
週刊ポスト
「高市答弁」に関する大新聞の報じ方に疑問の声が噴出(時事通信フォト)
《消された「認定なら武力行使も」の文字》朝日新聞が高市首相答弁報道を“しれっと修正”疑惑 日中問題の火種になっても訂正記事を出さない姿勢に疑問噴出
週刊ポスト
地元コーヒーイベントで伊東市前市長・田久保真紀氏は何をしていたのか(時事通信フォト)
《シークレットゲストとして登場》伊東市前市長・田久保真紀氏、市長選出馬表明直後に地元コーヒーイベントで「田久保まきオリジナルブレンド」を“手売り”の思惑
週刊ポスト
ラオスへの公式訪問を終えた愛子さま(2025年11月、ラオス。撮影/横田紋子)
《愛子さまがラオスを訪問》熱心なご準備の成果が発揮された、国家主席への“とっさの回答” 自然体で飾らぬ姿は現地の人々の感動を呼んだ 
女性セブン
26日午後、香港の高層集合住宅で火災が発生した(時事通信フォト)
《日本のタワマンは大丈夫か?》香港・高層マンション大規模火災で80人超が死亡、住民からあがっていた「タバコの不始末」懸念する声【日本での発生リスクを専門家が解説】
NEWSポストセブン
山上徹也被告(共同通信社)
「金の無心をする時にのみ連絡」「断ると腕にしがみついて…」山上徹也被告の妹が証言した“母へのリアルな感情”と“家庭への絶望”【安倍元首相銃撃事件・公判】
NEWSポストセブン
被害者の女性と”関係のもつれ”があったのか...
《赤坂ライブハウス殺人未遂》「長男としてのプレッシャーもあったのかも」陸上自衛官・大津陽一郎容疑者の “恵まれた生育環境”、不倫が信じられない「家族仲のよさ」
NEWSポストセブン
「週刊ポスト」本日発売! 習近平をつけ上がらせた「12人の媚中政治家」ほか
「週刊ポスト」本日発売! 習近平をつけ上がらせた「12人の媚中政治家」ほか
NEWSポストセブン