32歳で現役を引退後、ラグビーにプロ化の時代が到来し、コーチの道へとのめり込んでいく。2001年に豪州代表の監督になると、2003年のW杯では準優勝。2009年からはサントリーの指導にかかわり、日本選手権、トップリーグ優勝を果たしたうえで、代表にも新風を吹き込んだ。
それまでのコーチたちと、エディー氏の違いは何だったのか? 第一に、ジャパンは世界でベスト8に入れると、本気で信じたことだ。そして、そのために日本の強みを徹底的に探し出した。
「とにかく試合が終わるまでボールを保持して、アタックして、アタックして、アタックすること。試合の終盤になって、相手が消耗して動けなくなっているのに、観客が感嘆するようなアタックを披露するチームでなければなりません」
具体的にはアタックの場合、日本はキックの数が極端に少ない。エディー氏の理想とするアタックではパスが11本に対し、効果的なキックが1本。ちなみに、海外のチームの場合は4対1。日本は極端にパスに偏ったチームであるが、このような数字が実現すれば目の覚めるような攻撃が見られるはずだ。
エディー氏は、理想を実現するために選手たちに代表に対する「コミットメント」を求めた。妥協を許さない姿勢を貫き、選手たちにも同じレベルのものを求める。厳しさの源は、それだ。
※週刊ポスト2015年9月18日号