このなかで私の思い入れがとくに強いのは、楽天の小山投手だ。2005年に中日から移籍して球団創設時から在籍していた選手で、「ファウンダー」選手はあとはもう牧田明久しかいない。私は楽天1年目のルポ「97敗、黒字」を書いたときも、2013年の優勝時も現場で取材したときも、いつも小山がいた。
小山が楽天で初めてセーブポイントを挙げたのは2005年4月2日、フルキャスト宮城(現コボスタ宮城)での西武戦だった。西武の先発は松坂大輔だったが、貧打の楽天が5点を挙げ、最後に小山が締めて5対3で勝った。150キロのストレートにフォークボール、中日はなんと良い選手をくれたのか、これは「杜の大魔神」じゃないかと感激したものだ。その後のプレーは正直、「杜の大魔神」とはいかなかったが、中継ぎに抑え、敗戦処理のようなことまで与えられた役目を黙々とこなしていた。。
性格は陽気で、最初のころは「おちゃらけ」キャラのような存在だったと思う。それが年齢を重ねるとともに言葉と行動に重みが増し、優勝時には「投手陣のリーダー」と形容されるほどの存在感があった。そのころ小山は私に、
「自分が楽天にやってきたばかりのころは、『楽天だから試合に出られている』といわれて、本当に悔しかった。いま優勝争いのチームで試合に出ていて、胸張ってやっていけるようになったと思います」
と、文字通り胸を張った。
2013年9月26日の西武ドーム、リーグ優勝を決めて、小山は喫煙コーナーに置かれた灰皿代わりの石油缶の前に座り、「ひぃひぃ」と声を挙げて泣いた。泣きながらライターの火を付けようするが、手が震えてつかない。そばにいた若い選手が「小山さん、なにやってんすか」と笑い、もらい泣きした。
その試合、抑えのためにブルペンからマウンドに向かう田中将大を小山は最敬礼して見送った。
「田中に向かって敬礼されていましたね」
という私に、小山は、
「いや、自分はどの試合でも、どの投手でも、ブルペンから登板する選手にはそうしています」
小山が中日から楽天に来たのは26歳、無償トレードだ。選手でも金銭でもない「無料で移籍」にプライドを傷つけられる選手もいる。しかし小山はこういう。
「新しい球団では自分を先入観なく見てくれる。新天地で頑張りたいと思っていました」
プロ野球在籍期間は19年、楽天在籍10年で登板した試合数は409、とくに2008年から12年まで連続5シーズン50試合以上登板している。寒い仙台なのにいつもアンダーシャツは半袖だった。
もし小山がそのまま中日にいたなら、投手陣のリーダーとして、優勝の瞬間に立ち会えただろうか。引退記者会見をしてもらえるような選手になっていただろうか。本当に良いときに、良いチームに、良い選手がいてくれた。引退会見は腐らず、明るく、黙々と投げ続けた男につける最後の勲章になった。