ところが「戦争法案」と呼ぶ人々の「戦争」には具体性も重みもない。無条件で悪だから反対とされ、これでは思考停止です。悪いことに本質は失われても言葉そのものは「戦争」ですから、なにか大ごとに取り組んでいるような気分になれる。つまりこうした言いかえは、思考よりも気分を助けるのです。賛成前提の「国民の理解」もやはり気分に傾いていますね。
気分を盛り上げるのは、言葉の持つ魅力的な効能のひとつでして、例えばペットの雌雄を「女の子/男の子」と呼び、飼い犬を「ウチの子」と言いかえる方がいます。また、失礼ながら「ちょっとそのお年では……」と思うような女性が平気で「女子会」と呼ぶ食事会を催す。
対象は同じでも、別の言葉を使うことで親密さや仲間意識が強まるのでしょう。大衆の言葉の中には違和感を覚えるものもありますが、こうした場面で当人が言葉の楽しみを味わっているのなら、それはそれでいいと思っています。
しかし大事なことを決定するオフィシャルな言葉に対してさえ同じ態度で接してしまってはいけません。ましてやオフィシャルな言葉のプロであるべき政治家のみなさんが、「戦争法案」と言われたら今度は「平和法案」だの「積極的平和主義」だの、またまた言いかえを行うように、気分優先のおしゃべりしかできなくなったらおしまいでしょう。
まず「名を正す」こと。言葉の「遊び」の部分まで国民を代表して下さいなどとは、誰も頼んでいないのですから。
※SAPIO2015年11月号