「ニトリのにぃ!」
社内でも、店舗でも、冠スポンサーを務める女子プロゴルフ大会・ニトリレディスの前夜祭でも、レンズを向けると決まって弾けるような笑顔で掛け声をかけるのは、“お、ねだん以上。”でおなじみ、ニトリホールディングス社長の似鳥昭雄さん(71)だ。
「ぼくはね、プライドがない。後輩に“似鳥ーっ”と呼ばれても、はいはいと行っちゃう。周りは、それじゃだめだって言うんだけど、そんなのは、どーでもいいと思っているんだよね」
現在、国内外に約400店舗、年間売上約4200億円超の企業に成長させたこの似鳥さんが俄然、注目を集めたのは、この4月に日本経済新聞で連載された『私の履歴書』に綴られた、すさまじいほどユニークなエピソードがきっかけだった。
極寒の北海道で味わった生死をさまようほどの貧乏暮らし。小学4年生からヤミ米の配達を手伝い、友達からは、いつもニタニタしていたので、“ニタリくん”というニックネームを付けられ、試験はカンニングが当たり前。父が経営するコンクリート会社に就職したもののシゴキに耐えかね家出…などなど、その半生は、小説やドラマ、漫画を超えるほどの激動に満ちている。
好きな言葉は、『短所あるを喜び、長所なきを悲しめ』。人生でいちばんの恩人は…奥様の百百代さん(68)だと公言してはばからない。
「8度目の見合いでようやくOKをもらえたのが家内で。極度のあがり性だったぼくに代わって販売を一手に引き受けてくれたことが成功のはじまりなんだけど、それ以上に感謝しているのは、短所を長所に変えてくれる名人だということです」
家が貧乏だったことを、松下幸之助さんと同じ境遇だと言い、忘れ物がひどいところを本田宗一郎さんにそっくりだと褒める。
「女の人に、“あなたも天才かもしれない”って言われると、男はついその気になっちゃうんですよ。結局、手のひらの上で転がされてるだけなんだけど、夫婦というのはそれくらいがちょうどいい(笑い)」
【プロフィール】
にとり・あきお
1944年樺太生まれ。1967年、似鳥家具店を札幌で創業。1972年似鳥家具卸センター株式会社を設立。1978年社名を株式会社ニトリ家具に変更。2010年持ち株会社に移行。1店舗から始めた会社を国内外400店舗、年間売上4200億円超の会社に育て上げた。
撮影■国府田利光
※女性セブン2015年10月15日号