2011年に若き国王夫妻が来日し、その美男美女ぶりが話題となったブータン。そこで国王から爵位「ダショー」を外国人で唯一授かった人物がいる。その人は日本人だが、日本ではまだ、あまり知られていない。
「私が日本人だとわかると、現地の方から『ダショー・ニシオカを知っているか?』と聞かれるんです。ブータン人は最大の敬意を込めて、西岡京治(けいじ)さんをそう呼びます」(NPO日本環境教育フォーラムのブータン駐在員、松尾茜氏)
1964年、鎖国を行なったため近代化が遅れたブータンに、海外技術協力事業団(現・JICA)から派遣される形で降り立った西岡。当時31歳だった彼は農業指導者として農業改革の命を受けた。
改革はすんなりとは進まなかった。現地の農家は従来農法に固執し新たな方法を受け入れようとしない。
そこで西岡は、論で説得するのではなく試験農場を作り実際に栽培してみせた。初めは小さな土地しか使わせてもらえなかったが、キュウリ、キャベツ、ネギなど持ち込んだ日本野菜も順調に育ったほか、彼の田植え指導によって米は4割の増産を記録した。
その実績を買われ、国王からブータン南部の山奥の極貧地帯の開発を依頼される。警戒する住民を800回にわたって説得し、水路や道路、吊り橋などを整備。そうして新造した道路は300キロにも及んだ。そこで効率的な手法を導入した農業を行なうことで、人が定住できる土地を作りあげた。
徐々に協力者が増え、与えられる土地も拡大。西岡の功績がブータン中に轟くようになる。「ダショー」の称号を受けたのは着任してから16年目の1980年のことだった。だが1992年、日本に帰国する寸前に59歳の若さで現地で死去。ブータンは国葬で西岡を送った。
「ブータンの都市・パロ郊外には『西岡チョルテン(チョルテンとはチベット語で仏塔の意)』という記念碑があり、今でもお参りする方が絶えません」(松尾氏)
(文中一部敬称略)
※週刊ポスト2016年1月1・8日号