日本からもボランティアを募り、25年間で380万本の植林を行なうと、砂漠に緑が生まれ、農業ができるようになった。夕張から技術者を呼んで換金作物としてメロンを作り、住民の暮らしは豊かになった。
「遠山先生の口癖は『やれば砂漠も森になる。やらなければ何にもならない』。技術をきちんと伝えたいという気持ちゆえ、ボランティアにも厳しい口調で指導していました。夕方になると疲れてスコップを引きずりながら歩いている人にも烈火のごとく怒ったものです。曰く『スコップが削れると掘れる分が減る』だそうです」(同前)
90歳を過ぎても年に300日を砂漠で過ごすという暮らしだった。2004年、97歳で死去したが、恩格貝地区には住民の寄付によって、銅像のほか、記念館などが作られている。遠山の実直な性格が愛された証だ。
(文中一部敬称略)
※週刊ポスト2016年1月1・8日号