◆「先生と一緒に120歳まで」
こうして再開した日台間の恩師と教え子の交流は、手紙だけに留まらなかった。昨秋、インターネットを使ったテレビ会談が母校・烏日小学校の創立100周年の特別行事として企画され、台湾と熊本が結ばれたのだ。
台湾からは約20人の教え子たちが家族に送迎されて参加し、会場となった烏日小学校の式典用の講堂に集まった。前方に掲げられた大型スクリーンに高木さんの顔が映し出されると、みんな目を丸くして、食い入るように画面を見つめていた。
画面のなかの高木さんに向かって教え子たちが語りかける。
「高木先生、おめでとうございます!」
「先生を見ると、僕も本当に元気いっぱいです」
「先生と一緒に120歳まで生きていたい」
みな口々に感謝の気持ちや長寿を祝う思いを伝えたが、印象的だったのは、教え子のひとりが言葉に詰まった場面だ。
「これから私と友達は、高木先生の毎日、楽しく、元気で、過ごして、一生……一生涯……」
なかなか言葉が出てこない。頭の奥底に眠る日本語の記憶、先生の思い出を掘り起こしながら、心を込めて発していく。それでも言葉に詰まると、高木さんは、すべてわかってるよと言わんばかりに、
「ありがとう!」
と大きな声を出した。お互いさまざまな思いがあっても、言葉にすると結局「ありがとう」の一言にしかならないのだ。
この80年ぶりの“再会”は、台湾でさらに大きな話題となり、メディアもこぞって取り上げた。総統選において対中関係が争点となるなか、高木先生と教え子たちのエピソードは、日本との古い絆を台湾人に思い起こさせたのかも知れない。折しも台湾では、若い世代の間で日本統治時代を題材にした映画やマンガが流行っているという。
高木さんはこの騒動の間に、107歳の誕生日を迎えた。熊本の自宅に伺うと、「多くの人の手助けで交流が再開できてうれしい」と言い、丁寧にファイルに綴じられた教え子からの手紙を見せてくれた。その数は30人以上に上る。
高木さんは手紙を眺めては教え子たちの写真に目をやり、しばし物思いにふける。じっと見つめたあと、柔らかな表情でそっと写真に台湾語で語りかけた。
「……ポアピーベッサイレー(病気しないで、身体を大事にして)」
高木さんは日本に帰ってからの戦後70年間、毎朝晩欠かさず、仏壇に教え子たちの健康を祈り続けている。
文◆西谷格(ジャーナリスト。『この手紙、とどけ!~106歳の日本人教師が88歳の台湾人生徒と再会するまで~』著者)
※週刊ポスト2016年2月19日号