国内でパクチーが認知を伸ばしたのは1980年代後半の「エスニックブーム」をきっかけとする、タイ料理店の躍進だった。当時の新聞はその様子をこう報じている。
「十二、三年前には国内に一軒もなかったタイ料理店。三年ほど前のエスニックブーム時にも十店程度だった。それがこの三年で首都圏だけで四十店にまで増えた」(日本経済新聞1990年10月29日付)
1970年代には「一軒もなかった」タイ料理店は、現在関東だけでも420軒、全国では700軒以上(※タウンページ調べ)にまで増えた。そこにはパクチー専門飲食店も含まれているし、家庭向けのアイテムにもスナック菓子やカップラーメンなど、身近な食べ物にフレーバーとして採用されるようになった。
パクチーの香りはクセが強い。体臭も強くなく「無香好き」とも言われた日本人にとって「合わないのでは」という人もいる。だが人の舌が感じる味わいは、慣れや習慣によって変化する。味覚と密接な関係を持つ嗅覚も、環境の変化に影響されると考えるのはむしろ自然なことだろう。そもそも「無香好き」と言っても、日本にもネギ、シソ、ニラ、ニンニク、ミョウガなど香味野菜はいくらでもある。
食べ物にまつわるブームは25~30年おきに大きな波が訪れるものが多い。冒頭で例に挙げたポップコーンやロールケーキもそう。人と食べ物の関わりにおいて、まったくの目新しい食べものが急に受け入れられるということは極めてまれだ。明治時代の肉食解禁からの牛鍋ブームにしても、それ以前から人目をしのぶようにして肉を食べていたエリアもあった。「ブーム」の土壌は常に耕されている。
情報網が細かな網目のごとく張り巡らされた現代においては、むしろ日常に息を潜めるかのようにおとなしくしている”食”こそが、次なる大ブレイクの最有力候補。現代の食にまつわるブームやトレンドは、もはや追いかける対象ではない。すぐそばに視線を落とせば、そこに次なるブームになりうる「いいもの」は転がっている。