小島:私は中学、高校が学習院だったので、どうにもならない格差を見てしまったんですよ。一生あの人たちには追いつけないと思いました。旧軽とハワイに別荘があって、自宅が南麻布で、免許をとって最初に乗った車がジャガーみたいな人たちだから勝負にならない。彼女たちとは違う場所で、自力で生きていこうと達観するしかありませんでした。
工藤:憎むことはなかったんですか。
小島:妬みました。努力すれば夢は叶うといわれて、楽しい小学校生活を犠牲にして第一志望の中学に入ったのに、そこで得たいちばん大きなメッセージは努力ではどうにもならないということでした。グレて先生に当たりまくり、態度が悪くてブラックリストに載ったこともあります。
工藤:ほかのそういう子たちとつるんだりしなかったんですか?
小島:学習院のいいところは、基本、みんなお上品なので、あからさまないじめや派閥はないんです。でもやっぱり学年の中でいちばん華やかで伸び伸びしているのは、お金持ちの子と、顔がかわいい子。私みたいな子たちは、どうやって生きていこうかと自分探しを始めるわけです。だから、いい教育だったと思います。
工藤:なるほど、そうですね。
小島:彼女たちも旧軽とハワイの別荘を私から奪ったわけではないし、一生追いつけないレースを生きるより、できることで競おうと発想を変えました。それで漢字テストをがんばって、あの子の家は広尾にあるけど、漢字は私の方ができる、みたいなところで折り合いをつけたんです。誰もそんなこと気にしてなかったけど(笑い)。
工藤:面白いですね。私たちのころは、家より顔のかわいさとお勉強ができるかどうかでした。でもキャリアウーマンになるという発想は全然なくて、みんな25才までにお嫁に行ってしまいました。
小島:私がラッキーだったのは、家庭で2種類の女の幸せを見られたことです。母は経済的に大学には進めなかったけれど、美人で商社マンと結婚して海外にも住みました。姉は一部上場企業に勤める親のもとに生まれて、時代の先駆けである帰国子女で英語を武器にして、有名女子大から一流企業に入り、一流銀行マンと結婚してニューヨークに転勤。母の理想の人生を送っています。
なので私は母とも姉とも違う、私なりのやり方で、見劣りしない幸せを手に入れるにはどうすればいいのか、13才から18才ぐらいまで考えました。今となってはすごくラッキーなことでした。
※女性セブン2016年3月31・4月7日号