「夜這い」の慣習や「春画」「艶本」などの文化に代表されるように、日本人は古来、豊かな性生活を営んできた。後世に名を残す偉人たちの中にも、色事に関して「豪の者」と呼ばれた人物が多くいた。
『愛欲の日本史裏絵巻』の著者・山科薫氏の協力のもと、伝説の“ツワモノ”たちを紹介する。
銀閣寺建立など東山文化を築いた室町幕府8代将軍・足利義政は、政治に関心を示さず側近に丸投げしていたために応仁の乱を招き、幕府を大きく傾かせた。そうなった原因の一つがセックスだったといわれる。
「7歳の時に乳母の今参局(当時17歳)に性教育を仕込まれ、若くしてセックスの悦びに溺れてしまったといわれています。8歳にして将軍となってからは側室47人の相手に忙しく、政治の実権は妻の日野富子が握っていました」(山科氏)
室町時代に浄土真宗を布教した僧侶の蓮如は、衰退していた本願寺を再興し、本願寺中興の祖と呼ばれる。正妻が亡くなると次々に後妻を娶って27人の子供をもうけた。最後の子供ができたのは84歳の時だった。
平安時代の為政者として多くの子をなした嵯峨天皇。その数は50人といわれている。
「結果、皇族が増えすぎて財政が悪化し、子供たちを大量に臣籍降下させてしまった。その際に子供を受け入れた家臣に『源姓』を与えたのが『源氏』の由来ともいわれています」(山科氏)
※週刊ポスト2016年5月27日号