新聞にはそれぞれ論調があり、一つの事象を伝えるにも右派や左派などそれぞれのポリシーがあらわれる。ところが、開始から今年で50年目を迎えた中国の文化大革命の報じ方に混乱が見えたと評論家の呉智英氏が指摘している。そもそも右派・左派という区分は意味があるのか、なぜ混乱が起きているのかについて呉氏が解説する。
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今年は支那全土を殺戮と破壊の大動乱に巻き込んだ文化大革命開始から50年目に当たる。文革は10年続き、その間虐殺された人の数は、支那当局の発表で40万人、研究者によっては1千万人にものぼるとされる。
文革勃発は5月16日であったため、日本の新聞もここ数日検証記事を載せている。面白いことに、革新系の朝日新聞と保守系の産経新聞の同じ18日の北京支局員記事が、同じような混乱を見せている。といっても、今さら文革支持のはずもなく、文革批判では当然一致しているのだが、現地の動きの報じ方に混乱が感じられる。
まず、朝日新聞。
共産党の「この日の論評は『文革を巡る左派(保守派)や右派(改革派)の妨害を断固防がなければならない』と訴えた」
かっこ内の注記は原文のままである。つまり、左派というと革新派のように思う読者がいるかもしれないけれど、左派は保守派ですよ、右派というと保守派と思うかもしれないけれど、右派は革新派ですよ、という注がついているのだ。「右派(革新派)」ではなく「右派(改革派)」と小細工がしてあるのはご愛嬌。だが、革新派だろうと改革派だろうと、英語ならreformistで、全く同じだ。
次は、産経新聞。
「文革を懐しむ左派の活動」
「保守系政治団体が主導するデモ行進」
「文革当時の同じ現象が復活しつつあることを警戒する改革派と、文革時代を肯定する保守派が対立している」
産経も朝日と同じように、革新派と書くとまずいと思って改革派としている。そして、左派は保守派、右派は革新派。これも同じ。
さて、そうすると、革新系の朝日新聞は右派、保守系の産経新聞は左派、ということになるではないか。両記事とも、それが分かっているからか、微妙なとまどいが感じられるのだ。