一方のさんまは、高校卒業間近の1974年2月に2代目笑福亭松之助に入門。その年のうちに京都花月で初舞台を踏み、翌1975年には『ヤングおー!おー!』(毎日放送・当時)へのレギュラー出演で人気者に。
それでも上沼が“先輩”であることに変わりはなく、22年前の共演では、さんまは「会ってしゃべるなんて夢のよう。すごい先輩」と恐縮しっぱなし。ラジオ局でドアを開けた瞬間に上沼にぶつかり、平謝りしたのが初対面だったと明かしたものの、上沼に「覚えてないわぁ」と言われてガッカリする場面も。2人の絶妙なやりとりに、スタジオもお茶の間も爆笑の渦に包まれた。そんな和気藹々さには、どこにも「共演NG」のきっかけになったという雰囲気が感じられないのだが──。
「2人は、ただ接点がなかっただけで、お互いが嫌い合っているということはありません」と言うのは、別のテレビ局関係者だ。
「上沼さんは東京の番組への出演はめったになかったし、あの紅白の司会も断ったという伝説もあるほど。上沼さんを東京に呼んで共演させようとは誰も思わなかったんです。それに、大物の2人ですから、関西で一緒に使おうと思った在阪のプロデューサーもいなかった。そうこうしているうちに、たまたま何年も共演がなくて、“あれ? 2人って仲が悪いの?”とテレビ局員が勘ぐりだしたんですが、雲の上の人だから“仲悪いんですか?”なんて、直接聞けるわけがないじゃないですか。それでズルズルと22年が経ったというわけです」
ちなみにさんまは、テレビ業界で共演NGがない珍しい大物として知られていて、「唯一、大物司会者A氏だけがNG。それもA氏の方からのNGでさんまさんからではありません」(前出・テレビ局関係者)という。結局、ふたを開ければ上沼の「共演NG」発言に乗せられてしまっただけのようだ。
※女性セブン2016年6月30日号