明石家さんま(あかしやさんま)

明石家さんまのプロフィール

明石家さんま
年齢:67歳
生年月日:1955年07月01日
趣味・特技:ゴルフ・スポーツ観戦全般
身長:172cm
出身地:和歌山県

”お笑い怪獣”の異名をとる不世出の天才コメディアン。1974年に落語家を志し2代目笑福亭松之助に入門。「笑福亭さんま」の高座名で落語家デビューするも、1976年に現在の芸名に改名してタレント転身。巨人(当時)のエース小林繁投手の投球フォームなど野球選手の形態模写で話題となり、東京進出後、1980年に『笑ってる場合ですよ!』『オレたちひょうきん族』(ともにフジ系)などに出演し大ブレイクした。芸人のほか、歌手としても『真赤なウソ』『しあわせって何だっけ』などヒット曲多数。また、1986年に大ヒットしたドラマ『男女7人夏物語』(TBS系)には俳優として出演して人気に。同ドラマで共演した女優大竹しのぶと1988年に結婚し、1992年9月に離婚。会見では額に「×(バツ)」印を書いて現れ、これが「バツイチ」の“語源”となった。大竹との長女はタレントのIMALU。なお、自身が設立した個人事務所名は「オフィス事務所」。

最終更新日:2022年06月10日
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明石家さんまの最新ニュース

社員の逮捕にフジテレビ社内では激震が趨っているという
大麻所持で逮捕のフジテレビ社員「明石家さんまも認める敏腕ディレクター」の素顔
 近年、一層のコンプライアンスの遵守が求められるテレビ局にとって衝撃的なニュースとなった――。6月9日、東京・江東区で大麻を所持していたとして、フジテレビ社員の小林正彦容疑者(38)が逮捕された。乾燥大麻およそ80グラムを所持していた疑いが持たれており、本人は容疑を認めているという。フジテレビは社員の逮捕を受けて「誠に遺憾です」「司法の判断を踏まえ厳正に対処します」と放送したが、逮捕の一報は業界関係者にも大きな驚きとショックを与えた。 フジテレビの30代社員の男性が語る。「逮捕が報道される前から、『小林さんが退社するらしい』という話は社内で噂になっていたのですが、まさかこんなことになるとは思いませんでした……。小林さんは長く編成制作局のバラエティチームに所属していて、たくさんのバラエティ番組にディレクターとして参加していました。社交的で局内だけでなく芸能事務所の関係者など知り合いがたくさんいて、いつも『この前はどうも!』なんてスタジオに来ている色々な人に挨拶していました。 チャラチャラしたタイプというよりは、“兄貴肌”のヤンチャな人という感じでした。刈り込んだ短髪で、いつも短パンにTシャツ姿で出社していました。あとはメジャーリーガーがかぶるような『平ツバ』のキャップを被っている姿が印象的でしたね」『SMAP×SMAP』など数多くのバラエティ番組に携わっていたという小林容疑者だが、社内外に広く“敏腕ぶり”が知られるきっかけとなったのは、明石家さんま(66)のある一言だったという。小林容疑者と仕事をしていた40代の制作会社スタッフが言う。「2015年だったと思うのですが、フジテレビの『FNS27時間テレビ』の番組内のやり取りのなかで小林さんを『コイツはめちゃくちゃ優秀なヤツなんや!』と紹介したんです。画面に映り込んだ小林さんはとても照れた様子でしたが、その場に一緒に出演していたナインティナインの岡村隆史さん(51)から『えぇなぁ、さんまさんに褒められて!』と言われて嬉しそうだったのを覚えています。放送後には周りからもそのことについて色々とネタにされていたみたいですよ」 小林容疑者は「人柄も良く、制作会社のスタッフや後輩からも慕われていた」(前出の社員)というが、自己都合で近く退社する予定だったという。大物芸能人からも仕事ぶりを認められ、将来を嘱望されていたテレビマンが過ちによって失ってしまったものはあまりにも大きい。
2022.06.11 19:58
山田美保子さんが選ぶ「ベスト・ファーザー賞」さんま、榎並アナ、有村昆など
山田美保子さんが選ぶ「ベスト・ファーザー賞」さんま、榎並アナ、有村昆など
 そろそろ「父の日」。放送作家でコラムニストの山田美保子さんが、芸能界の“ベスト・ファーザー”事情について綴ります。 * * *「ベストファーザー」と言われると“イクメン”というイメージ「母の日」に比べると圧倒的に存在感が薄い「父の日」は6月の第3日曜日。今年は6月19日です。「母の日」は、お花やスイーツなど「もらってうれしいモノ」がテレビ番組や雑誌で大々的に紹介されるものなのに、「父の日」のそれは、あんまり見かけません。ネクタイ? コロナ禍で在宅勤務が増えた昨今、ちょっと違うような気がしますよね。お酒? あ、そろそろ父子に扮した俳優さんが一献傾けるウイスキーのCMが見られる時期かもしれません。 著名人が選出されることでもっとも有名なのは『ベスト・ファーザー イエローリボン賞』でしょう。ここから派生した『ベスト・ファーザー賞in関西』では昨年、清原和博さん(54才)が選ばれたことがおおいに話題になりました。2016年には『112日間のママ』(小学館)の著者であり、元読売テレビの清水健アナウンサー(46才)が選出され、気持ちが温かくなりました。 一方、歴代の「芸能部門」を見ていくと、ココリコの田中直樹サン(51才)、FUJIWARAの藤本敏史サン(51才)ら“後のバツイチ組”や、ますだおかだの岡田圭右サン(53才)やココリコの遠藤章造サン(50才)のように、“前ファミリー”の顔が浮かんでしまうかたもいらっしゃいます。『~イエローリボン賞』の方も、“麻耶砲”投下以来、少々イメージが変わってしまった市川海老蔵サン(44才)や、いろいろ大変そうなダイアモンド☆ユカイさん(60才)のお名前がありました。 いや、「だからベスト・ファーザーではない」とは言いませんが、こうした賞は“速報値”的な要素もありますからね。「歴代受賞者」の一覧表を見てしまうと、どうしてもいろいろツッコミたくなってしまうのです。「ベスト・ファーザー」といわれると、イコール“イクメン”というイメージも強くなる。ゆえに事務局から選出されたとの声がかかっても「違うんで」と辞退しているようなかたがきっといらっしゃると思います。 以前、田中圭サン(37才)は出演作品の番宣で、話がイクメンに及びそうになった途端、表情をこわばらせ、奥さまに任せっきりであることをモゴモゴ告白。もう、これ以上、掘り下げてくれるなというお顔をされていました。 蒸し返すようで恐縮ですが、あの東出昌大サン(34才)がなかなか本業で浮上できないのも(世間が勝手に抱いていただけとはいえ)、実はイクメンではなかったというギャップが、そうさせているのでは? いま思えば、杏サン(36才)が評価していた東出サンのパパぶりは、「尋常じゃない高さの“高い、高い”をしてくれる」だけだったような気がします。 さて、この文脈で山田EYEモード的ベスト・ファーザー賞を一足先に選びたいと思います。 まずは、明石家さんまサン(66才)です。“本家”がもし選んでくれたら、スゴイなぁと思いますけれど、難しいでしょうし、それこそ、さんまサン本人が辞退するような気がします。 でも、さんまサン、大竹しのぶサン(64才)、長男の二千翔さん、長女のIMALUサン(32才)“ファミリー”を目標にするパパ芸能人は本当に大勢いらっしゃるんですよ。 さんまサンが大竹サンの前夫でTBSディレクターだった服部晴治さん(1987年、がんのため死去)から生前、「しのぶをよろしくお願いします」と頼まれていたのは有名な話。 私は以前、大竹サンがゲストにいらした『1周回って知らない話』(日本テレビ系)で再確認しましたし、さんまサンは昨年6月、『週刊さんまとマツコ』(TBS系)で、服部さんの言葉を「まともに受けてしまったのかもわからへんな」と振り返りました。 いろいろな想いがあるにせよ、二千翔さんに自身を「ボス」と呼ばせ、幼少期から実にいい関係であるさんまサン。以前、『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)のオーディションに二千翔さんと同級生だったという女性が来たときも、さんまサンは「ニッカ(=二千翔さん)に聞いてみるわ」とその場で電話していましたっけ。 IMALUサンとのエピソードは、運動会の借り物競走でボケ倒したさんまサンが保護者のかたから爆笑をとるも、IMALUサンは号泣。大竹サンからも「もう帰って」と叱られたことや、この先、さんまサンに介護が必要になったとき、「おむつは替えるよ。でも(お尻は)拭かないよ」とIMALUサンから言われていることなどなど、どこまで真実かはわかりません(苦笑)。でも、イイ関係であることは事実。『ボクらの時代』(フジテレビ系)でも大竹サンはファミリー自慢をしていましたね。やっぱりさんまサンはベスト・ファーザーです。勇気ある決断と素直で真摯な文章に心打たれた 続いては、フジテレビの榎並大二郎アナウンサー(36才)です。昨年9月、榎並アナは『Live News イット!』で育休宣言。インスタで初めての育児に奮闘する様子を綴っていました。2週間を振り返り、「かけがえのない時間」とし、たくさんのことを知り、学び、ものすごい早さで成長する息子さんのことや、それを奥さまと共有できた喜び。さらに「いかに多くの家事が存在しているのかを目の当たりにしました」と。発信する立場にある榎並アナの勇気ある決断と素直で真摯な文章に心打たれました。 芸能界では近年、離婚後、夫が親権を持つケースが目立ちますが、そのなかから、市村正親サン(73才)と有村昆サン(45才)をベスト・ファーザーに選びたいと思います。「父の背中を見て」息子さんに育ってほしいというのは、篠原涼子サン(48才)と市村サ  ン、共通の想い。市村サンは長男の優汰クン(14才)とすでに共演。恐らく次男さんもミュージカル俳優の道を歩むことになるのかと。父子で帝国劇場や日生劇場に観劇に出かけたり、息子さんは自宅で堂本光一クン(43才)主演のミュージカル『Endless SHOCK』の名場面を再現したりしているとも聞いています。 有村昆サンについては、いろいろあったのは事実ですが、離婚前から保育園の送迎を熱心にしていたのをはじめ、有村サンのご両親含め、懸命に子育てをしていらっしゃいます。市村サン同様、応援したい、ベスト・ファーザーです。 そうそう、先日、「上場企業の社長でも男性育休がとれる」組織づくりをしている『石井食品』の石井智康社長のインタビュー記事を読みました。2019年にお子さんが生まれた際には、共働きの奥さまとともに1か月の育休をとったという石井社長。昨年、奥さまが他界され、40才目前でシングルファーザーになった石井社長は、会食をしなくても社長業はこなせる……と。頼もしいコメントですよね。 番外編は坂上忍サン(55才)です。4月に新たにワンコが増えて、23きょうだいに。ブログのフォロワーさんからも「パパさん」と呼ばれ、愛される坂上サンもベスト・ファーザーです。 私も6月19日は、ありがとう……と空に向かって伝えようと思います。構成/山田美保子『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)などを手がける放送作家。コメンテーターとして『ドデスカ!』(メ~テレ)、『アップ!』(同)、『1周回って知らない話』(日本テレビ系)、『サンデージャポン』(TBS系)に出演中。CM各賞の審査員も務める。※女性セブン2022年6月16日号
2022.06.07 17:36
【動画】明石家さんまの“元相方”が詐欺で逮捕されていた
【動画】明石家さんまの“元相方”が詐欺で逮捕されていた
 明石家さんまさんの元相方だった高橋平明容疑者が、5月19日、詐欺容疑で逮捕されました。警察によると、高橋容疑者は、知人の男性に架空のイベント話をもちかけ、200万円をだましとるという詐欺を行ったそうです。 高橋容疑者が、さんまさんとコンビを組んでいたのはわずかな期間。コンビ解消後、さんまさんはお笑い芸人としての地位を確固たるものにしていきましたが、その一方で、高橋容疑者は1994年にも詐欺の疑いで逮捕されるなど、転落の道を辿っていました。
2022.05.27 17:37
かつてはコンビを組んでいたさんま
明石家さんまの“元相方”がイベント話の詐欺で逮捕 兄弟子の哀しい転落人生
 ステージにたったひとりで立ち、会場を爆笑の渦に包み込む。日本を代表する最強のピン芸人の隣には、かつて相方がいた。いまから45年前、1本のマイクを前に交差した2人の人生は、その後、非情なコントラストで分け隔てられていた──。 収録開始のほんの数分前に、その日のゲストが誰かを伝えられ、直後には硬軟織り交ぜたトーク術と話題の引き出しでスタジオを爆笑の渦に誘う。台本はもちろん、ない。そんなスタイルで、明石家さんま(66才)は30年以上も自身の冠番組である『さんまのまんま』(関西テレビ・フジテレビ系)を続けてきた。どんなに芸歴の長い芸人でも、誰にも真似できない唯一無二の“芸当”だ。そんな伝説に事欠かないさんまは“べしゃり”を武器に、「お笑い怪獣」として芸能界の頂点に君臨して久しい。 だが、さんまがタモリ(76才)、ビートたけし(75才)とともに「BIG3」と呼ばれるずっと前に、お笑いコンビを組んでいたことはあまり知られていない。さんまの口から語られることもない。 1974年、高校3年生だったさんまは落語家の笑福亭松之助さん(享年93)に弟子入りした。当時は同期の島田紳助さん(66才)と一緒に行動し、切磋琢磨する関係だった。「来た仕事はなんでも引き受けていたそうです。口グセは2人とも“売れたい売れたい”。でも、駆け出しの頃は目立った仕事もないし、当然食べていけない。そんなときにさんまさんに舞い込んだのが、兄弟子とコンビを組んでのテレビ出演オファー。たしか1976年から1977年頃のことです。ピン志向のさんまさんにとって本意ではなかったでしょうが、師匠のすすめもあり、出演を決めた」(テレビ局関係者) さんまが“組まされた”相方が明石家小禄。本名・高橋平明(72才)だった。 時計の針を一旦、現代に戻す。その高橋が5月19日に詐欺容疑で逮捕された。警察によると、高橋容疑者は2020年、知人の男性に架空のイベント話をもちかけ、200万円をだまし取ったという。典型的な詐欺だ。いまなお輝き続けるさんまとは対照的に、元相方は哀しい末路をたどっていた──。スポーツ選手の「形態模写」 当時を知る落語家の笑福亭松枝(71才)が回想する。「小禄はさんまの兄弟子だけど、数か月違うだけでほぼ同期だった。落語の腕はそこそこやったけど、ステージ上での司会進行がうまくて、アドリブで返したりするのは抜群やった。営業先なんかでは重宝されていました」 その確かな手腕は、さんまとのコンビ芸でも発揮された。テレビ番組の収録の際、メイン芸人の到着が遅れて“前説”の時間が延びても、堂々たるアドリブで客席を盛り上げ、見事に間をつないだこともあったという。さんまはそんな兄弟子のそばで、着実に技術を磨いていった。なかでも、さんまの芸人人生に大きな影響を与えたのが「形態模写」、つまりものまねだ。「落語が低迷していた時代だったこともあって、落語家もいろんな芸に挑戦していた。そんななかでも、小禄さんの相撲の形態模写がすごくウケたんです。北の湖や初代貴ノ花とかね。その横でさんまさんもプロ野球選手の形態模写をして笑いをとる。特にウケたのは、当時巨人にいたピッチャーの小林繁さんでした。 関西での人気も徐々に高まり、全国ネットの番組で形態模写を披露したことで名前が広く知られるようになった。さんまさんのブレークのきっかけは、この形態模写にありました」(前出・テレビ局関係者) コンビの活躍は吉本興業の目にとまった。そこで正式にお笑いコンビとしてデビューすることを提案されたが、さんまは一蹴したという。「“すぐにでもひとりでやりたい”と言って、さんまさんは固辞。結局、2人が組んでいたのはわずかな期間でした」(前出・テレビ局関係者) コンビ解消後、さんまは1977年に人気番組『ヤングおー!おー!』(毎日放送)に出演して知名度を上げ、1980年代に入っても『笑ってる場合ですよ!』や『オレたちひょうきん族』(ともにフジテレビ系)の主要メンバーとして人気を博し、お笑い芸人としての地位を確固たるものにしていった。一方、小禄は満足いく結果を残せずにいた。「芸能の仕事は細々と続けていきつつ、副業として京都でスナックを経営していたそうです。その間、吉本に内緒で後輩芸人のマネジメントをしたり、“とっ払い”の仕事を受けていた。いまでいう“闇営業”ですね。それがバレて、吉本をクビになったと聞いています」(芸能関係者) 同時期に小禄は松之助さんに破門されている。前出の松枝は「お金でしくじって破門になったと聞いている」と明かす。そんな小禄は1994年にも、詐欺の疑いで逮捕されていた。今回とは金額があまりにも違う“巨額詐欺”だ。「母親の内縁の夫が亡くなった際、6人の知人に“葬儀代が払えないので貸してほしい。香典で返す”と頼み、総額2000万円ほどだまし取った疑いです。それだけじゃありません。その少し前には、経営していたイベント会社で、“おれはさんまの兄弟子やから、坂田利夫さんや山田スミ子さんを呼べる”という口上で、着物展示販売ショーを企画。数十人の出資者から10億円近くを集めましたが、客が思うように集まらず経営不振に。出資者から損害賠償請求され、詐欺罪での告訴も検討されていたようです。結果、自己破産しました」(全国紙社会部記者) 地元である京都でも大阪でも活動できなくなった小禄は、1996年、母親の生家のある岐阜県に移り住んだ。岐阜市内にスナックを開き、再びイベント会社を設立したが、やることは変わらなかった。「2006年には地元の知人10人以上から約1億5000万円を借り、行方をくらましていました。ここでも“さんまの元相方だ”“北島三郎にツテがある”と言葉巧みに口説いていたそうです」(前出・芸能関係者) 転落人生を送る小禄とは裏腹に、その間、さんまは『男女7人夏物語』(1986年・TBS系)などのトレンディードラマに主演し、俳優としても一世を風靡。『さんまのからくりTV』(1992年・TBS系)や『恋のから騒ぎ』(1994年・日本テレビ系)などのMC番組をスタートした。さんまはかつて「60才くらいで引退する」と宣言したこともあったが、盛衰の激しい芸能界で、66才になったいまも第一線に立っている。警察が出勤した「夫婦げんか」 最近まで小禄は、岐阜市内の住宅街にあるマンションで暮らしていたという。近隣住民が語る。「60代ぐらいの奥さんらしき女性とのふたり暮らしでした。小柄で白髪交じりの短髪で、眼鏡をかけてニコニコしているおじいさん。会うと“仕事が忙しいんだよ”と言っていましたね」“多忙”な小禄が外出する際には、女性はベランダから手を振っていたこともあった。「去年末ぐらいに、パトカーが来て、おまわりさんもゾロゾロと集まったことがあったんです。おまわりさんに聞いたら“夫婦げんかです”と。その一件以来、おじいさんの姿は見かけなくなりました」(近隣住民) 関西から逃げ、逃げた先で受け入れてくれた女性からも逃げたのか──その約半年後の5月、姿を消していた小禄は名古屋で御用となった。45年前に同じステージに立ち、さんまがいまの地位を築くきっかけを作った小禄。しかし2人は、天国と地獄に続く、まったく正反対の道を歩んだ。かつての相方へ、さんまはどう“ツッコむ”のだろうか。※女性セブン2022年6月9日号
2022.05.31 13:29
2015年から着用している高級時計フランクミュラー。“師匠”志村けんさんも同時計を好んで着用していた
上島竜兵さん 志村さん、たけしら大物に愛された“子分力” 売れ続けた要因に
 5月11日に急逝したダチョウ倶楽部の上島竜兵さん(享年61)に対し、お笑い界の名だたる大物がお悔やみの言葉を寄せている。ビートたけしが「本当に悔しい」とメッセージを出せば、明石家さんまはラジオで「いろいろ思い出もあるんで、(精神的に)こたえた」とコメント。松本人志は15日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)で、「長いつきあいだったので」と、声を詰まらせた。「上島さんは志村けんさんに大変気に入られ、番組で共演するだけでなく、プライベートでも常に行動を共にしていたことで有名でしたが、同時にタモリ、ビートたけし、明石家さんま、所ジョージ、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、ナインティナイン、さまぁ~ずなど、あらゆる売れっ子MCとも仕事をしてきました。これは本当に珍しいことです。 上島さんのようにゲストやひな壇で活躍する芸人は、仕事をする相手が偏るもの。大物に気に入られるのが芸能界を生き抜く鉄則ですから、必然的に“たけしの番組にはしょっちゅう出るが、さんまの番組には全く出ない”といった現象が起きるものなんです。ところが上島さんにはそれがまったくなかった。仕事にもつながっていきました。それはひとえに上島さんの人柄でしょうし、誰からも愛された何よりの証拠でしょう」(芸能関係者) 冒頭の3人以外にも、加藤茶、爆笑問題、出川哲朗、ナインティナイン、おぎやはぎ、有吉弘行、土田晃之、バナナマンなど、数え切れないほどの芸人仲間が上島さんを追悼。上島さんは先輩だけでなく、後輩からも愛された。「上島さんは典型的な“ツッコまれ役”で、ポンコツと言われることもしばしばでしたが、現場では常に周囲への気配りを忘れない人でした。萎縮する若手に『どんどん前に出ていいよ』と優しく声を掛けたり、爪痕を残そうと意気込む芸人に発言のタイミングをアドバイスしたり、とにかく番組を盛り上げ、芸人としてやっていくノウハウを惜しみなく伝授していました。有吉弘行や土田晃之らが、どれだけ売れっ子になっても上島さんへの感謝の気持ちを忘れなかったのは、そういった姿を見ているからでしょう」(お笑いライター) 上島さんは生前、ことあるごとに自らについて“子分肌”と語り、後輩に対しても子分のようなスタンスで接すると話していた。しかし人柄が良いだけで食べていけるほど、お笑いの世界は甘くない。民放バラエティ番組制作関係者は、上島さんが生み出した数々のギャグの秀逸さについてこう語る。「上島さんの持ちネタだった『聞いてないよ!』『絶対押すなよ!』『どうぞどうぞ』といったギャグは、とにかく破壊力が格別でした。何度見ても笑え、スベることもなく、色褪せることもない。今や一般人でもあのギャグを使いますからね。芸人のギャグが一般人に使われるようになることなんて、滅多にないことです。 同時にお笑い芸人にも、上島さんは良いお手本になりました。あれらのギャグはいずれも周囲の協力があって初めて成立するもの。汎用性が極めて高く、どんなシチュエーションでも使える完成度の高いギャグを見て、若手は『お笑いはチームプレー』ということを学んだわけで、その功績は計り知れません」(民放バラエティ番組制作関係者) 誰もが“聞いてないよ!”と呟いた早すぎる別れだったが、今頃は志村さんとお酒を酌み交わしているのだろうか……。ご冥福をお祈りします。【相談窓口】「日本いのちの電話」ナビダイヤル 0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル 0120(783)556(毎日:午後4時~同9時、毎月10日:午前8時~翌日午前8時)
2022.05.17 14:33
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ジミー大西、画業30年を語る「さんまさんの後押し」と「芸術に救われた日々」
 お笑い芸人で画家のジミー大西が、今年で画業30周年を迎える。4月末には30年間の活動をまとめた集大成的な作品集『Jimmy Onishi ART WORKS 1993-2022』を刊行。また1年以上にわたって開催される全国巡回展『POP OUT』もスタートした。節目を迎えた彼に、絵を描き始めた経緯や支えになった人物、また30年間にわたって活動を継続する秘訣について話を伺った。 ──絵を描き始めたきっかけを教えてください。ジミー:幼い頃のIMALUちゃんと一緒にお絵かきをしていたんです。そしたら(明石家)さんまさんから「変わった絵を描くな」と言われて、テレビ番組を紹介してくれた。それがきっかけで絵を描くようになりました。 もうひとつきっかけがあって、なんと岡本太郎先生からFAXで手紙をいただいたんですよ。「キャンバスからはみ出せ」って書いてあって、これはもう絵に移るしかないと思った。それまでは自分が絵描きになるなんてまったく考えてなかったので、太郎先生の手紙は転機になりましたね。──画家としても岡本太郎さんの影響は大きかった?ジミー:とても大きかったです。もちろん「バーンズ・コレクション展」(1994年)で見たパブロ・ピカソも断トツですごいなと思いました。幼少期からすでに天才なのに、キュビスム(20世紀初頭にピカソらが創始した美術運動)のような表現も行なっていて、爆発的なものを感じました。 ピカソを追いかけてスペイン・バルセロナに3年間滞在したんです。そこでいろいろなカルチャーショックを受けました。日本は天災が多いので、どんどんモノが新しくなりますよね。けれどヨーロッパは文化がずっとそのままの形で残っているんですよ。滞在時はたくさん写真を撮ったりデッサンをしたりしていました。──30年間の活動の中で大変だったことは?ジミー:やっぱり締め切りが大変でした(笑)。僕は描くのにものすごい時間がかかるんです。描けと言われたらすぐに描けるんですけど、じっくり描こうとしたらどんどんのめり込んでしまう。期限が迫っていると気づいたときはどうしてもテンパってしまいますね。──30年間描き続けること自体大変なことだと思いますが、行き詰まらないように工夫していることはありますか?ジミー:音楽を聴いたり、Netflixで映画を観たり、野球中継を観たり。周りの人と喋りながら描いたり、そういうふうに気を紛らわせてやっていますね。一人で作業し続けていると途中で嫌になってしまいますから。 最近はヒゲダン(Official髭男dism)やあいみょんをよく聴いてます。ええ歌やなあと思いますね。この30年間で筆が止まったことは何回もありますけど、そうやって気を紛らわせて脱出して、もういちど絵を描き始めるんです。──活動を継続する上で支えになった人物は?ジミー:明石家さんまさんの存在は大きかったですね。それと吉本興業に所属していたのも大きくて、会社には自由にやらせていただきました。自分の中ではその二つ、さんまさんと吉本興業にとても感謝しています。 僕は海外に滞在していたことがあるので、太郎先生のパートナーの岡本敏子さんにもお世話になりました。ラベルに僕の絵が描いてあるワインを持っていって乾杯させていただいたり、太郎先生の仕事ぶりや生活についてお話を聞かせていただいたり。「そうか、太郎先生にもこんなことがあるのか」と気づくこともあって、そうした体験も支えになりました。絵を描くにあたっては、やっぱり太郎先生の存在が今でも一番大きいんです。 コロナ禍の苦境は「芸術に救われた」──画業30周年を迎えた心境を教えてください。ジミー:今の世の中が僕の絵を受け止めてくれるのかなと不安に思っています(笑)。 今回出した作品集(『Jimmy Onishi ART WORKS 1993-2022』)は僕にとって30年間の日記のようなものなんです。世界のいろいろな場所をまわって、たくさん描いてきて、年代ごとに変化してきたので。──コロナ禍で活動に変化はあった?ジミー:絵を描くことを生業にしていてよかったなとあらためて思いました。他の芸人さんたちはコロナ禍になってから仕事が減ってしまった人も多かったんですけど、僕は自宅で一心不乱に絵に向かっていけた。劇場やテレビに出るのではなく、キャンバスに向かっていたらよかったので、絵に助けられたところがありましたね。芸術に救われたというか。──画業で大事にしていることはなんですか。ジミー:僕はもともと“本物の画家”じゃないんです。吉本興業の芸人として絵を描いているので、やっぱり作品を見た人に喜んでもらえるのが自分の中で一番なんです。 今回の展示(『POP OUT』)も“楽しませる”というのがコンセプトです。会場内に「ジミーの部屋」というのを設けて、そこで僕が絵を描いたり、ご飯を食べたり、寝たりするんです。普通の画家はやらないと思いますけど、それを見て写真を撮ったりして楽しんでほしいなと。 人に喜んでもらいたいということが本質にあるので、そこは大事にしていこうと思っています。──今後の目標はありますか?ジミー:絵を描き続けて、変化し続けていきたいです。これまで描いた作品がざっと400点ほどあるので、あと30点は描きたいなと。そのあとは年金生活を送ろうと思っています(笑)。 描くのにどんどん時間を要するようになってきたんですよ。だからこれからどう変わっていくのか不安も抱えつつ。1年に3〜4点は描きたい。4点描けたら合格ですね。 あとはウクライナに行きたいと思っていて、今、企画を出しているところです。それとニューヨークで個展を開きたい。1年ぐらい住んだことがあるんですけど、やっぱりニューヨークには自由な発想があると感じていて。それと最先端のものもニューヨークだと受け入れてもらえる。そうした感覚があるんです。──ずっと絵は描き続けるのでしょうか。ジミー:年金をもらえるようになったら絵は卒業しようかなと。そこまでは頑張るつもりです。年金生活になったら美味しいものを食べて爆睡したいですね(笑)。 今はふと気がついたら目の前に必ずキャンバスがあって、いつもそれと格闘しているので、いちど何も考えずに爆睡してみたいんですよ。もちろん、描きたくなったらまた描くのかもしれないですけど。【プロフィール】ジミー大西(じみー・おおにし)/天然キャラクターから繰り出される衝撃的な笑いを武器に数多くの番組で活躍中。数々の天然エピソードも有名で、お笑い芸人として一発ギャグも多くもつ。読売テレビの企画「ジミー大西 画壇にデビュー」で絵画を発表し、専門家からも評価を得る。2022年、画業30年記念作品展「POP OUT」を開催。静岡伊勢丹(7月20日~8月1日)、浦和伊勢丹(8月3日~8月15日)、新潟伊勢丹(8月17日~8月24日)、以降全国巡回。◆取材・文/細田成嗣(HEW)、写真/小倉雄一郎
2022.05.16 20:46

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