2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月であることを自覚している医師・僧侶の田中雅博氏による『週刊ポスト』での連載「いのちの苦しみが消える古典のことば」から、フランシス・ハッチソンの「最大多数の最大幸福」という言葉の意味を紹介する。
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イギリスの哲学者・ジェレミ・ベンサムは「最大多数の最大幸福」という原則をイタリアの法学者・チェーザレ・ベッカリーアの著作から引用しました。ベッカリーアは『犯罪と刑罰』の最初の部分に「最大多数の最大幸福」という目標を示し、法律を作る際の原則としています。
しかし「最大多数の最大幸福」という言葉は当時の啓蒙思想家達が共通して用いていたもので、ベッカリーアの創作ではありません。スコットランドの哲学者・フランシス・ハッチソン(1694~1746)の『徳の理念の起源探究』にある「徳は善の量であり、最大多数の最大幸福をもたらす行為が最善である」が最初のようです。
ベッカリーアはモンテスキューを賞賛して司法権独立の必要性も書いていますが、彼に始まる理念としては「法律で規定されていないどんな刑罰をも科すことはできない」と罪刑法定主義を主張したことです。罪刑法定主義からの帰結として、後から制定された法律でそれ以前に犯した罪に刑罰を与えられないという「法の不遡及」の原則があります。
しかし、「最大多数の最大幸福」という目標のためには、少数の人が犠牲になってもよいのでしょうか? これはベンサムも否定しています。しかし、これを否定する有力な根拠となる思想は、前回書いたようにジョン・スチュアート・ミル『自由論』の「自己決定権」です。そして、これを実社会で禁止したのが「ニュルンベルク綱領」です。