母の思い出を語る橋幸夫
デビューから23年後、後援会長が立ち上げたリバスターレコードに移籍し、副社長として経営に携わることになった。しかし、事業はうまくいかなかったばかりか、母に認知症の症状が出始めた。僕が歌わなくなり、追っかけができなくなったことが原因のひとつだったのかもしれません。
当時は認知症がよく知られておらず、家族は隠したいという意識が強かった。「母に限ってまさか」という思いも強く、そのため不可解なことをいい始めてから認知症だとわかるまでに4年以上かかりました。
介護のため母との同居が始まりました。介護は女房が愚痴もこぼさず担ってくれましたが、症状がますます悪化し、最後は施設に預けることになりました。入居して1年で亡くなってしまったので(享年88)、自宅に連れて帰ってあげられなかったのが心残りです。
今年はデビューから56年目となり、母が大好きだった股旅物の『ちゃっきり茶太郎』を20年ぶりにレコーディングしました。病床でも『潮来笠』だけは歌詞を忘れずに最後まで歌えた母に、この歌が届けばいいなと思います。
●はし・ゆきお/東京都生まれ。1960年に『潮来笠』でデビュー。母の介護を綴った『お母さんは宇宙人』(角川文庫)の著書もある。7月20日にニューシングル『ちゃっきり茶太郎』が発売。
※週刊ポスト2016年7月22・29日号