ガリレオは、ブルーノの火刑の10年後に『星界の報告』を出版しました。この著作は望遠鏡による詳細な観察記録であり、コペルニクスやブルーノの著作とは違って、近代科学の特徴を具えています。
ガリレオも宗教裁判を受けましたが、同じ大学の教授選を競ったこともあるブルーノの火刑を知っていたので、ガリレオは自説を撤回しました。「間違っていました」と言って自己の命の価値を優先したことは、「間違いを検証する」そして「価値を捨てる」という近代科学の誕生を象徴したできごとです。
ブルーノは、ガリレオと違って、火刑を恐れずに自説を撤回しませんでした。前に書いたソクラテスの裁判の場合との共通点が認められます。ソクラテスは、彼が戦場で命の危険が迫っても持ち場を離れなかったように、「死刑になるからといって哲学をやめることはない」と言いました。
彼の哲学は、彼にとって「自己の命を超えた価値」、すなわち宗教だったのです。 ブルーノにとっても、ブルーノの宇宙論に基づく哲学は、彼自身の命を超えた価値、宗教だったのです。
1979年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が、過去の教皇庁の誤りを正すという目的で、ブルーノ裁判も再検討し、ブルーノの異端宣告は取り消されました。
●たなか・まさひろ/1946年、栃木県益子町の西明寺に生まれる。東京慈恵医科大学卒業後、国立がんセンターで研究所室長・病院内科医として勤務。1990年に西明寺境内に入院・緩和ケアも行なう普門院診療所を建設、内科医、僧侶として患者と向き合う。2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月と自覚している。
※週刊ポスト2016年8月19・26日号