人は死を宣告され、死に際を迎えたときどのような行動をとるのだろうか。精神科医で、余命1年半の元予備校講師の闘病生活を描いた『受験のシンデレラ』の著書がある和田秀樹氏は「思い残さないように、素直な願いが行動に出る」と指摘する。
それを端的に表わすエピソードがある。亡くなる3か月前、「3年前に先に逝った親友に挨拶したい」と故郷である高知県に里帰りした70代の男性がいた。男性の妻がいう。
「東京の病院に入院していたので私たちは、『身体に負担が大きいからやめて』と頼んだのですが、頑として聞かず、一緒に高知に向かいました。
墓参りの後、夫に理由を聞くと、『あいつと最後に呑んだとき、些細な話で口喧嘩したまま死に別れたのがずっと心残りだった。あっちは“天国の先輩”だから、俺から先に謝っとこうと思ってな』と笑っていました。本人にとっては大事なことだったんだと思います」
海外では、こんな“家族”に会いたいというケースもある。ブラジル南部の都市に住む末期がんの女性の願いは、「小犬の頃から飼ってきた愛犬に会いたい」だった。この願いを受けて、病院側が特例的に犬の“面会”を認め、感動の再会を果たした。この女性には多くの友人が見舞いに訪ねてきていたというが、飼い犬に会うという願いが何より強かったのだろう。
現役世代では、家族以上に「仕事」を気にかけるケースも少なくない。
「夫は余命宣告を受け、入院した後も“絶対に仕事に復帰するんだ”といって聞かず、思うように回復しないことにひどく落ち込んでいました。でも、とうとう仕方がないと思ったんでしょうね。『会社に電話して、○○君を呼んでくれ』といって、取引先の詳しい話などをしていた。妻としては寂しかったですが、仕事人間だったあの人らしいな、とも思います」(60代女性)
懐かしい故郷や思い出の場所、「行ってみたかった場所」に赴く人もいる。
「最期に『海が見たい』と口にするようになってから気持ちが落ちついた女性がいました。彼女は生まれも育ちも群馬県で、ほとんど海での思い出がなかった。それが、死の間際になってふと、『行ってみたい』となった。潜在的な願いとしてずっと抱いていたんでしょうね」(前出・和田氏)
※週刊ポスト2016年9月16・23日号