ところで、五星紅旗とは別に、毛沢東が作成したデザインは、旗全体は赤地で、左上の角に大きな黄色の星が一つ置かれ、その下に旗の高さの3分の1ほどの高さに黄色の線が一直線に引かれているというもの。
赤地は共産主義革命を、星は共産党の一党独裁体制を、さらに下の黄色い線は中国の象徴ともいえる黄河を、それぞれ表している。シンプルだが、中国共産党政権ができた経緯をうまく表現しているといえよう。
ところが、これに反対の意を唱えたのが中国軍の幹部だった張治中将軍だった。張は国民党軍幹部から共産党軍の幹部に転じた軍人で、1949年4月に国民党政府の和平交渉代表団の首席代表を務め、共産党側と交渉し、そのまま共産党政権に身を投じ、蒋介石ら国民党軍とは袂とを分かって北京に残った。
張は6月の国旗選定の会議で、毛沢東に対して「赤地が共産革命を示し、星が共産党政権を表すことは良いのだが、下の黄色の線は、まるで国家が2分されてしまっているような印象を与えるので、良くない。私は毛沢東のデザインには反対だ」と述べて、毛沢東を納得させたうえで、五星紅旗案が採用されたという。
これについて、ネット上では「昔は共産党政権も寛容だったのだ。話し合いで決めたことは驚きだ。よく独裁者の毛沢東が張治中を殺さなかったものだ」との書き込みがみられている。