今年の夏に起きた「肉フェス」で生の鶏肉を提供したことによる食中毒騒動も、鶏肉とカンピロバクター、カンピロバクターとギレンバレー症候群の関係を知っていれば回避できたかもしれない(最悪、命の危険すらあり得る)。知りも知ろうともせずに、「出されているんだから大丈夫」「出すほうが悪い」一辺倒では身を守ることはできない。
冒頭のヒラメやブリの提供をやめようかという店主の悩みはこうした「リスクゼロ幻想」に取り憑かれた消費者によって喚起される。ヒラメやブリがダメなら、イカのアニサキスだってダメだろうし、カキだってその生態上ノロウィルスとは無縁ではいられない。
そんなことを考えていたら、友人から「牡蠣に2回当たったけど、どうしても食べたかったから3回めチャンレンジしたらまた当たりました。でも後悔はしていません」というメッセージが飛んできた。その人が4回めにチャレンジするかどうかはわからない。だけれども、自ら選んだ食べ物について、メッセージの送り主は決して人のせいにはしないはずだ。
消費者が「リスクゼロ」を求めるほどに供給者の腰は引け、マーケットも縮小してしまう。万一、その市場自体がなくなってしまうとも限らない。日常のまわりにある食を育てるのも消滅させるのも、消費者一人ひとりの選択と行動の積み重ねなのだ。
都市部の住人は、狩猟や漁獲、収穫といった命を奪う作業を他人に預けている。だが、自分が生きるために必要な作業を外部に委託しておきながら、自らは一切責任を取ろうという気もなく、何か起きたら大声で騒ぎ立てる。そんな下卑た振る舞いを繰り返せば、「食」が貧しくなっていくのは自明である。