世界を変えるような出来事も、運命が変わるようなラブロマンスも起きないけれど、12月16日の公開初日に老若男女が列を作った映画がある。キャッチフレーズがつけにくいその映画は、21年ぶりにデジタルリマスター版でよみがえった『スモーク』だ。
この映画では、最近の映画ではありえない頻度で登場人物がタバコを手にし、煙(スモーク)に包まれ、おしゃべりをする。彼らがつくりだす心地よさは、映画を観る者を隣人の気分にさせてゆく。
冒頭から劇中に何度も登場するニューヨークのブルックリンにあるタバコ屋では、店長オーギー・レンを始め、常連客も実によくおしゃべりをする。大リーグ・ヤンキースの成績を嘆き他球団へ移ってしまった選手がいればとこぼせば、今さらそんなことを言っても遅いと言い返す。誰かのうんちく話に耳を傾けたり、生半可なまま話しているだろうとからかったりを繰り返す。
オーギーの語りは毒舌だが、一方的ではない。ライターを手に取り、紙巻きタバコをくわえてふかす瞬間に、他者のおしゃべりとのキャッチボールに変わるからだ。話し相手も、同じように間を取る。そして沈黙も、ぎこちない気まずさも、煙(スモーク)とともに綴られてゆく。
店でのおしゃべりも、タバコの煙も、無駄なものかもしれない。しかし、この無駄を描かないと、映画の味わいはまったく異なるものに変わってしまう。
オードリー・ヘップバーン主演の『麗しのサブリナ』(1954年)では、ヒロインはじめ劇中の人物たちは紙巻きタバコを四六時中すっている。ところが、1995年にジュリア・オーモンド主演でリメイクされた『サブリナ』では、誰もタバコを手にしない。その結果、ロマンチックコメディなのにさらりとした作品となり、原作の魅力が大きく削がれてしまった。
1962年の第一作『007 ドクター・ノオ』から続く007シリーズの主人公、英国秘密情報部のジェームズ・ボンドも、葉巻も紙巻きタバコも愛するスモーカーだ。ところが、1990年代からタバコの量が減り、2015年の最新作ではまったくすわない。俳優が変わってもキャラクター性は保たれていたのに、すっかり違うボンドになったと言われるほどだ。
確かに、最新技術を駆使し、現代に合わせてアップデートされた大作映画も楽しい。しかし、常に画面に音楽が鳴り続ける間合いが窮屈な場面ばかり、無駄がない映画ばかりでは疲れてしまう。