2005年に発達障害者支援法が施行され、知的障害を伴わない発達障害者も障害者のうちだと認められるようになった。それ以前から、啓蒙活動が方々で為され、関連書籍などもたくさん出版された結果、ADHD(注意欠陥多動性障害)、LD(学習障害)、自閉症スペクトラムといった言葉もけっこう知れ渡った。それはきっといいことだ。
だが、発達障害者たちに、学校や職場などの現場で、実際、どう対していけばよいのか。そのソリューションについては、「当事者に寄り添おう」といった抽象的な呼びかけや、専門医に診てもらおうといった「丸投げ」以外、具体的な方法論が見えていない。
大学に限った話で言うと、2009年頃に大学全入時代が突入すると騒がれた2000年代前半には、発達障害をもつ学生の問題について、ちゃんと教育を考えている一部の教職員たちが「やばいことになる」と心配していた。
誰でも大学に入れるようになり、学生の質が下がるというだけでなく、入学試験が実質的に機能しなくなり、それまで「入学できなかった」タイプの発達障害者もどんどん入って来る、と予測できたのである。
でも、その予測をもとに、きちんと受け入れ体制を整えたという大学を私はほぼ知らない。カウンセリング室を拡充したり、就職の際の悩み相談を受けるキャリアカウンセラーをキャリアセンター内に増やしたり、といった対策を立てた大学はあるが、それは企業がお客様相談室の電話回線を増やすのとあまり変わりなく、抜本的な解決に向けたものではない。
ブログの太郎君のように、善悪の判断がつかない学生はどうしたらいいのだろう。放置すれば、就活の面接で確実に躓くと思う。内定が取れず、留年を重ね、結局、退学してしまうかもしれない。就活生の自殺が話題になるが、そのうちの少なからずは発達に何らかの障害をもっているとも聞く。
大学全入時代になり、とにかく入学者を確保しなければならない、受験生数を増やさなければいけないというプレッシャーが高まった。そして、日本の大学は、入試形式を次々といじってきた。最低でも文系なら英国社、理系なら英数理の3科目を受験しなければならないという「常識」が崩れ、1科目入試や面接だけ入試など、一通りの基礎学力がなくても入学できる大学がすごく増えた。
これは、いわゆるFランク大学だけの話ではない。全国的に有名な難関校でもそうだ。そして、結果的に、発達に障害のある学生を抱え、これといった何をするでもなく、良心的な教員ばかりが胸を痛めている、といった状況が出現している。
入試を多様化すれば、学生の質も多様化する。多様化はポジティブな面ばかりではない。この障害者の問題のような厄介な側面もある。そうした学生に「手間ひまをかける」体制を整えてからでないと、当事者も教員も負荷が増し、誰も幸せになれない状況を招く。
太郎君の件についてブログで綴らずにはいられなかった教員は、本当にショックだったのだろう。似たような思いをしている大学教員は全国にたくさんいる。まず、その苦悩の言語化と、意識共有から始めなければならない。
だが、大学教員は雑務他の激増で多忙化するばかりだ。これは国家主導で、心理や福祉、医療職の専門知を結集させて対策を練り、実施する。そういうレベルの大きな課題だと思う。