そもそもこの男性は記事を読む限り、生活保護の不正受給を企む者というより、制度を理解していない、あるいは理解しようとせず暴力に訴えた粗暴犯である。このような人物が念頭にあるから「くず」という言葉が浮かんだのだろうが、たったひとりのおかしな人物と他の生活保護受給者を結びつける発想が理解できない。どこから来たのだろうか。
小田原市役所のHPでは生活保護についてこう説明している。
《生活保護の申請をされますと、銀行や郵便局、生命保険会社などに資産調査をさせていただくことになります》
《貴金属などあらゆる売却可能な資産は、売却して最低生活費に当てていただく場合があります》
《生活保護受給中は、原則的に自家用車の運転はできませんので処分を指導させていただくことがあります》
もし自分が困窮家庭が多いシングルマザーの女性だったとして、この文言を見てどう思うだろうか。子どもの学資保険も解約しなくはいけないのか、亡き夫の形見の指輪まで売り飛ばすことになるのか、子どもを病院につれていく車も失うことになるのか。「場合もあります」と例外があることもにおわせてはいるが、絶望の淵にいる人をさらに不安にさせる効果は大きいだろう。
研究者の試算によると、日本では生活保護制度を利用する権利のある人たちのうち、現に利用している人の率(捕捉率)は高めに見積もっても2割と言われている。8割の人が必要なのに利用できていない。一方で保護費総額のなかで不正受給額が占める割合は0.28%という(以上、日本弁護士連合会作成「知っていますか? 生活保護のこと」より)。
不正受給者を憎むあまり、本来は生活保護制度を利用してしかるべき人々を威嚇して遠ざけてしまうのは、角を矯めて牛を殺すことになりかねない。
この文言は「生活保護」というコーナーに4つある項目のひとつ「生活保護制度について」にある。実はこの「生活保護制度について」はこのコーナーのトップに掲げられていたのだが、ジャンパー問題発覚後、「自立生活サポートセンター・もやい」の専務理事などを務める稲葉剛氏がそのおかしさをツイッターで指摘後、1月18日にコーナーのいちばん最後に変更している。
つまりそれまでは生活保護の受給を考えた市民が最初に読むべきページとして、小田原市役所はこの文言を掲げていたのである。ジャンバーを着たケースワーカーたちの生活保護受給者、ないしは申請者を潜在的な不正受給者とみなす姿勢は、市役所全体の姿勢から来ているのではないか。
他にも稲葉氏の指摘で市役所はこのコーナーの文言を書き換えるなどしている(経緯は稲葉氏のブログを見てほしい)。だがこの記事を書いている1月20日現在、もっとも大切なことが書かれていない。
それは生活保護が憲法25条で保障された国民の人権である、ということである。
生活保護制度について、小田原市のHPはこう説明する。
《生活保護とは、自分の資産や能力、様々な他の制度を活用して努力しても生活が出来ないとき、国が一定の基準に基づいて最低生活の維持に不足する分を支え、やがては自分の力で生活していけるよう手助けをする制度です。》
比較で横浜市の生活保護についてのコーナーをのぞいてみると、トップページの冒頭に、目立つように太字でこのように書かれている。
《私たちは、だれでも人間として生きる権利(生存権)を持っています。日本国憲法第25条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と定め、この権利を具体的に実現するために作られたのが生活保護制度です。》
生活保護制度とは国の国民への「施し」や「お情け」ではなく、憲法で保障された人権を具現化するために作らねばならない制度なのであり、国民はその制度を利用する権利がある。小田原市にはその視点が決定的に欠けている。