男でなければ活躍しなかったかのように思われる戦国時代だが、NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』のように、戦国の世をたくましく生きた女性はほかにもいる。そんな女傑たちを紹介しよう。
●立花ぎん千代(たちばなぎんちよ、「ぎん」は門がまえに言、1569~1602年)
加藤清正を退却させたエリートおんな城主。立花ぎん千代は、7歳のときに父・立花道雪から立花城の城督、城領、諸道具の一切を譲り受けた。
「道雪が56歳と年を取ってからもうけた娘で、可愛がり過ぎたあまり家督を継がせた。容姿端麗で、剣術や学問などをしっかり学ぶ女性だったと伝えられています」(歴史作家で多摩大学客員教授の河合敦氏)
13歳で婿として迎えた夫・宗茂が朝鮮出兵に出ている間、秀吉がぎん千代をわが物にしようと名護屋城(佐賀県唐津市)に呼び出したことがある。このときぎん千代が長刀を構え、鉢巻・襷(たすき)がけで現われたことに、秀吉は「戦時である。立派な心構え」と苦笑いしたという。
西軍に参じた関ヶ原の戦いで夫が敗走した際は、城を明け渡すよう追ってきた東軍の猛将・加藤清正に反撃の構えを見せた。それを見て、清正が「みすみすわが兵を損ねることはあるまい」と引き返したと伝えられている。
●小松姫(こまつひめ、1573~1620年)
鎧姿の肖像画が残る「本多忠勝の娘」。昨年の大河『真田丸』で吉田羊が演じた小松姫は、真田信之の妻で無敵の武将・本多忠勝の娘である。
「小松姫の最も有名なエピソードは、関ケ原の戦い直前に真田家が徳川方と豊臣方に分かれた際、夫とともに徳川側につき、沼田城に入ろうとする豊臣方の義父・昌幸、幸村親子の計画を阻止したことです」(河合氏)
徳川四天王と讃えられた父・本多忠勝譲りの勝ち気な性格だったといわれており、鎧をまとった肖像画も残っている。