●岩村御前(いわむらごぜん、生年不詳~1575年)
甥・信長に磔にされた裏切りのおんな城主。岩村御前は、歴史小説などでは「おつやの方」とも呼ばれている。織田信長の叔母にあたるが、政略結婚で東美濃(現在の岐阜県恵那市)・岩村城の城主、遠山景任(かげとう)に嫁がされた。
信長と武田信玄が対立すると、美濃・信濃国境に近い岩村城は信玄配下の秋山虎繁の軍勢に攻められる。景任は信長に援軍を要請するが無視され、城は死守したがこのときの負傷がもとで死亡。景任に跡継ぎがいなかったので、岩村御前は信長に一族を城主として送り込むよう要請したが、派遣されたのは信長の五男で当時15歳の御坊丸だったため、岩村御前が実質的城主となった。
その後も虎繁との攻防が続いたが、信長からの援軍は来ず、降伏を余儀なくされる。ここでなんと、虎繁は岩村城に入り、岩村御前を妻に迎える。それほどの美貌の持ち主だった。
ところが、天正3年(1575年)5月21日の長篠・設楽原(したらがはら)の戦いで武田勝頼が大敗すると力関係が逆転。今度は織田軍が岩村城を攻めて落城させた。虎繁と岩村御前は織田軍から「赦免する」といわれたが、それは2人をおびき出すための罠で、生け捕られた後に逆さ磔で処刑された。
「その際、岩村御前は『援軍を寄越さないから武田軍に降伏するしかなかった。叔母の私にこのような仕打ちをするのか』と壮絶な恨みの言葉を信長に向けて残しています」(河合氏)
現在、岩村城があった岐阜県岩村町では、岩村御前の肖像をラベルにした日本酒「女城主」が名産品となっている。
※週刊ポスト2017年2月3日号