◆場面ごとにその人間になりきる
「例えばお浜は自分を振る男を許せない。賊に手籠めにされた自分に妻ではなく妾になれと言う文之丞を叩く。一方の文之丞も彼女の攻撃を一度わざと受けた上で〈身意が一体でなければならない。でないと、相手に斬られてしまうのだよ(略)ほら。ほら。ほら〉と女の頬を腫れるまで叩く。そこに彼の狂気が立ち現れてくるわけです。
こういうシーンは事前に決めすぎても出てこないし、お浜を抱きたい土方の恋情にしても、場面場面で、その人間になりきって書く。昔は50枚の連載中、25枚がファイトの描写ということもありました。拳が当たった接触面の細胞がミチミチ死滅する感じを何枚もかけて書いたりね。本書でもオリジナルの剣客も含めた闘いのシーンを面白く書くのが、最大の読者サービスだと思ってます」
さて竜之助が巡礼を斬殺した理由や音無しの構えに関しても、夢枕氏は原作にない衝撃の真相を用意する。
「これも書きながら出てきたアイデアですけどね。単に試合前の度胸試しでは人間的に小さすぎると思ったし、彼のキャラクターを決定づける仕掛けを用意しました。ここでは言えませんが」
自身、最も胸躍る原体験に「宮本武蔵と大山倍達と猪木」を挙げる氏は、一対一の勝負に人々が魅かれるのは本能に近いという。
「ゴジラとキングコングはどっちが強いかを延々議論してみたり、男同士がつい、自分と他人のことを心の中で比べちゃうのもそうでしょう。竜之助たちの場合は剣と生きることが直結しているし、そういうものとしか言い様がないんです」
〈白刃で、生命のやりとりをするってのは、ありゃあ、人を狂わすね〉とあるが、そうまでして勝負に賭ける男たちの輝きは勝者と敗者を問わない。実は本作には未回収な伏線も一部残されている。
「例えば土方が手に入れた名刀・兼定の元の持ち主は、ぼくの物語の中ではあの倉田典膳です。亡き大佛次郎先生が許して下されば竜之助と坂本竜馬と鞍馬天狗が維新前の京都で絡むとか、介山が書けなかった続きも書けるかもしれない」
と夢枕氏。それもこれも虚構の一匹狼・机竜之助がいてこそで、物語が物語を生む連鎖に終わりはない。
【プロフィール】ゆめまくら・ばく/1951年小田原生まれ。東海大学文学部卒。『上弦の月を喰べる獅子』で日本SF大賞と星雲賞、『神々の山嶺』で柴田錬三郎賞、『大江戸釣客伝』で泉鏡花文学賞、舟橋聖一文学賞、吉川英治文学賞、『ちいさなおおきなき』で小学館児童出版文化賞等。「キマイラ・吼」「魔獣狩り」「餓狼伝」「陰陽師」など数々の人気シリーズを持ち、来年公開予定の『沙門空海 唐の国にて鬼と宴す』など映画化・漫画化作品も多数。162.5cm、70kg、O型。
●構成/橋本紀子 ●撮影/国府田利光
※週刊ポスト2017年2月10日号